セルビアで7月12日、ナクチャニアートコロニーの第8回国際大会が始まりました。 (下記は同文キリル文字)
На Петровдан 12 јула почео је VIII међународни сазив ликовне колоније Накучани.
セルビアの友人繋がりで縁が出来たMilica Alimpic Ilicさんが運営するナクチャニアートコロニーでは毎年大人の絵画展を開催しており、今年で8回目。
私も参加を打診されましたが、「星つりじいさん」作画に追われている事と、セルビアに送ると1ヶ月程度日数が必要となり、これではとても間に合わないので、来年から参加させてもらう意向を伝えました。
ところが、締め切り直前になって「今年は旧作のデータだけでもパンフレットに掲載して、原画の展示自体は来年に回すので送ってくれませんか?」という折衷案を出してくれました。その事が嬉しくて旧作で私が気に入って部屋に飾っている「ゼムンの街角」を出展する事にしました。
ナクチャニアートコロニーの全容は私自身まだよく把握出来てはいないのですが、連日色んな場所で絵画制作をして出展する様に見えます。
とりあえず、Milica さんとは友人になったも同然の感覚なので、それが一番大事に思います。何人かの絵描きが思い思いに制作する風景を送ってくれました。
毎回思うのですが、国民性の違いというか、アートが生活に直結している雰囲気。構えない雰囲気が本当に心地よいです。
私もここに混ざって描いて、一緒にパンをかじったりして過ごしたい。
私の教室では「自分で写生をしに行って下さい。」と受講生に言っても「まだそんな域ではありません。」「人に見てもらえるようなものでないですから。」と殆どの方が言います。私は写生をしろと言うのであって、自慢をしろとは言っていません。なんでそうなるの?
ひと目がどうこうなど、考えている場合ではないと言う事を言っても通じません。この時、私は心底絶望して「もういいや」と突き放すことにしています。
気晴らしに絵を描かれているのかと思うようにします。そうしないとストレスが爆発してしまいそうになるからです。
私は小学生の時にスケッチブックと鉛筆で写生を始めて、着彩、中学校以降は油彩で写生をしましたが、絵描きになるのに当たり前だからです。気晴らしで絵を描く感覚は一回もなかったので、戸惑うのでしょう。私は私。他者も受け容れないとと思うようになりました。
絵を描くことをステイタスにし、絵画を嗜(たしな)んでいるという自意識は捨てて欲しいです。絵を描くのは呼吸をする事、食べること、生きることですから、何がどうなって日本人は絵を描く事を高尚で、いい趣味のように捉えるようになってしまったのか!
日曜美術館とかの悪影響もあるかと思いますが、特別なことをしているのではないと認識して、優越感は捨て去って、自分を晒さないと始まりませんよ。
晒して恥ずかしいのは日本だけかも。晒して笑うのはセルビアだけでなく殆どの国できっとそうです。私は前者を否定します。絵を学ぶのに写生を端折るなら底(基礎)が抜けた状態になり、何を積み上げても崩れて行くでしょう。
今日の写真のように風のように写生をして下さい。
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