アトリエ青 Atelier Blue

画家・アートディレクター 石田泰也の日々の活動風景をお届けしています

油彩画への憧憬

前回に続いて油彩画をアップします。サイズはF6号とお手軽。恐らく25年程前に描いたものと思われます。この頃は透明水彩と油彩画の両方を使い分けて表現していました。

バリバリと映画館で働いていた時期で、仕事は休みが月に5日あるかないかと言うことで、年間休日が60日以下。年末年始・お盆の振替休日なし。その上一ヶ月の平均労働時間は270時間。さらに雇用保険なしで、年休も有給もないと言うブラックさ😆でした。労働基準法に思いっきり抵触しますが、映画が好きなのでとてもやり甲斐を感じていました。

でも、それを絵が描けない理由にはしたくないので、秋になるとモチーフを探してあちこち彷徨い、ここと出逢ったのです。

 

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黄色く紅葉した落葉樹とたっぷりの落ち葉に落ちる木漏れ陽。これを描き始めたのは良いのですが、油彩画を現場で描くと言うことは天候や時間によって光線などの条件がコロコロと変化します。なので一日で作画する時間は午前からお昼に掛けての3時間が限度。その上休みが少ないので、次に現場にやって来たら殆ど落ち葉になってしまっていました。

という事で、続きは一年後の秋にまたがってしまったのですが、現場に6日程通って描き上げました。

透明水彩は白絵の具を原則的に使用せずに、紙の白を残したり絵の具の濃淡で明るさを表現するのに対して、油彩は白をどんどん混色します。この絵でも一番量を使ったのが白絵の具なのです。そして滲みなどによる偶然性が透明水彩の長所ですが、この絵は偶然性は皆無で、全て意識してコントロールして着彩しています。

 

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そう考えると透明水彩より油彩画の方が色彩理論上、高度な技術を必要とする様に思われるかも知れませんが、実のところ何度でも付け加えたりやり直しが効くので、案外そうとは言い切れません。

この絵はまだまだ追い込みが出来ておらず未完の箇所が目に付きます。今から思えば何故途中で止めてしまったのだろうと感じますが、当時の力量ではこれが限度だったという事です。

だからこそ不出来だけれど、愛着があり燃やさずに手元に置いておく事にしました。前回の30号の絵はたまたま実家で発見しましたが、その2枚以外の油彩画は燃やしてしまった訳です。燃やしたものに共通しているのは現場で描き切らなかった(アトリエで手を加えた)・写真取材で描いたという妥協がまとわりついている作品です。

透明水彩は写真取材で描くことに、それ程の抵抗はないのですが、油彩画はそれを免れる事が出来ません。その理由はまだ自分の中でもはっきりと掴めないのですが、今、療養生活をしながら油彩画を再開したい想いが静かに湧き起こって来ているのです。

再会

20年前に描いた30号の油彩画が実家で見つかりました。アトリエ青だった古民家を引っ越す際に、焼却したと自分では思いこんでいたのですが、実家に眠っていたのです。

思わぬ「再会」となり、正直なところほっとしました。燃やさなくて良かったです。


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タイトルは「巣箱のある風景」です。原画は個展で発表した事がないのですが、この作品は京都御苑内の林に7回ほど通い詰めて現場で描き上げました。

 

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紅葉や銀杏の木が紅葉する前から着手して、丁度ピーク時頃に完成する様に逆算しました。

この頃は小泉政権時代で、御苑内の迎賓館にブッシュ大統領が宿泊するという事で、警備体制が尋常ではなく、持ち物検査や職務質問を受けながら描き続けた事も昨日の事のように思い出します。

 

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恐らく、私が画家を装ってテロ工作(爆破等)をする者と疑われたのでしょう。

それはさておき、印象派に傾倒していた私が、この作品を描いている時にトランス状態(恍惚感)になってこれらの風景と自分が一体になったのです。

 

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一体になるというのは、万物の塵に等しく自我がなく、「私と世界」・「私」対「世界」という認識がなくなり、私が溶けて世界を構成する一部になったと言えば分かり易いかと思います。世界とは宇宙とも言い換えられます。

作品自体は圧迫感があって、取るに足らない出来栄えですが、30代の時のこの経験は後にも先にもこの時一回だけです。

 

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しかし、この経験はこれ以降の私の風景画の善し悪しを判断する上で、大きな影響を及ぼしています。

芸術を自己表現と言う方は多く、私もなんとなくそうかな?と思ってみたり自己否定をしてみたりしましたが、両方ともが雑念でしかないと考えるようになりました。画家は受容体の役目の比重の方が高いのではないか!今もその考えは変わりません。

Hさんとの惜別

退職した生活支援員の仕事を振り返って、とても心残りなのが、度々コラボ作品を描いていたHさんとの別れです。職務中のレクレーションとしてワークショップをしていたのですが、Hさんとの時間はもうないのです。

ワークショップでは私の方が教えられる事の方が多く、本当に良い刺激を受けました。ベッドサイドの広い壁面に絵をランダムに掲示した写真中央の黄緑の山と山頂にかかる白い雲の絵がHさんの作品。その上の星を釣るお爺さんが私が反応して即興で描いた作品です。

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これらは2つで一つなのです。これをメインにセルビアのゼムンの風景画2枚と抽象画、そこに2014年に描いた小さな紅いメルヘン画も加えました。テイストが全て違う事をよく思わない輩がいますが、これで私は調和が取れていると思います。

自分のファンでいる為にも枠を決めないで柔軟でいたいものです。今日は有難い事に一枚の絵のご依頼を頂きました。もう何ヶ月も作品を描いていない気がしますが、Hさんとの惜別を糧にさせて頂き、取り掛かりたいと思います。