作品として出展することはないと思う落描きはラク描きとも言えます。
少し前に描いたこの絵はくまの体が2重のフォルムになり、いくら何でも拙いと思ったのですが、とても気に入っている箇所があります。
じいさんの顔の塗り方がポンと置いたタッチと鼻柱のドローイングでとても簡素でありながら、表現として満たされている気がするのです。
紙の塗り残しがそのまま白いヒゲに見える一方で、鼻まで白いのはおかしいのですが、何故かそこが愉快なのです。
この奇妙な感覚は未だに論理的に説明が出来ずにいます。
今日描いた次の絵は、一歳の誕生日を迎えた赤ちゃんを中心に家族が取り巻く様子を描こうとしました。
もう無茶苦茶です。
支離滅裂とも言えるし、感心する箇所はほぼないです。
描いた満足感もないし、新しい発見もないのですが、自分で見ていて不快感とか嫌悪感はないのが不思議です。
人の輪郭に一泊の紙残しをした白が入っているのが、理屈抜きに気持ちいいのです。
2枚の絵に共通しているのは「どう描いたかではなく、どう描かなかったか」という部分が存在する事です。
作品を描こうと気負っている時は、このさじ加減はなかなか出来ないのですが、ラク描きはいい意味で無責任になれるのがメリットです。
もっともっと作品でもこれが実行できると新たな世界に抜けそうに思ってなりません。