昨年は描かなかった風景画の一方で、私なりに気に入った絵は描けたました。
それらは自分でも何を描いているのか分からない上、元から完成予想図がないまま描き出しています。
アプローチの点では、巧妙に計算して画調を整えて作画する光のある絵とは真逆となります。
それでも世界観は確かに出来上がるのですが、人によって解釈が自由に出来るというのが決定的な違いです。
なので全く感心しない方、腑に落ちない方が多くなるというのは仕方のないことです。
一方で、好きな方にはとことん好きになってもらえます。
100人中99人が上手いと認めるより、一人に無性に好きになってもらえたら有り難いし、嬉しいという感覚で描いています。
先ず第一に私自身が好感を持てる作品が描けたと実感したり、描き終わった時点では腑に落ちないけれど、時間が経過するにつけ、愛着が増すなど肯定的に受け取れる作品である事が絶対条件です。
この記事を読まれている方の大半は前回の光のある風景画の方を評価されるのは百も承知で、自分の好きな絵を描いて行こうと思います。
そして、最近は出来損ないの箇所や、これで出来ているの?という部分にも愛着を感じます。
特にこの絵は、そういう意味で「これで作品なの?」感が強く、人からはほぼ黙殺されていますが、私はかなり気に入っています。
それはもう理屈や論理的に伝えることが出来ません。
言葉に出来ない。説明できない。それが絵の本質だと思います。
お互いに感謝し合う人との繋がりが、この絵を描かせてくれたのは間違いありません。
活動を共にしている日本を含む世界中の友人と子どもたちに支えてもらっていることに感謝を込めて、探求を続けて行きたいと思います。