2023年も間もなく終わろうとしていますが、大好きな風景画は写生した一枚しか描かなかったように思います。
その一枚も特に印象的なものではなく、作品というよりは習作の感じでした。
風景画を描かなくなっている要因は、はっきりしています。それは一度描いた仕事の焼き直しはしたくないことと、慈しむ風景以外を描きたくないということです。
特に日本の風景を写真取材して描いたり、海外であってもネットの拾い絵(他者の写真をモチーフにした絵)は頑なに拒絶しています。
今日、ここに2015年〜2016年に描いた6枚の風景画をピックアップしました。
これらに共通しているのは、太陽光や電灯などの光源があるものを取り入れていることです。
この雨上がりの大津港に停泊しているミシガン船は知人の写真家に断りを入れて描きました。
船上のネオン球や乗船場に写り込んでいる光に白絵の具を使っているので、厳密には透明水彩とはいえません。
コルマール地方の年越しシーズン界隈を描いたこの絵は、風景写真資料集を見て描いています。
こちらはアクの強い感じで、オイルパステルや先に同じくガッシュも使っているうえ、洗い画法なども併せて駆使しています。
その為に、テイストが油彩画に近いし、反面、透明水彩らしい部分が欠如しています。でも絵なんてそんなに真面目に考える必要はありません。
問題は、圧迫感があり過ぎて、見ていてキツいことでしょうか? これは私自身の当時の精神性が反映されています。
中で10センチ角のミニ絵画であるこの絵は、カラーペンなどで楽に窓を線描したり、ユニークでリラックス出来ます。
この絵はお得意様のご自宅のトイレに飾ってもらっており、私としては嬉しい限りです。
何度かブログに上げている次の絵は凝った作りの店ですが、実は日本です。
これも、クレヨン、ガッシュ、洗い画法を用いています。透明水彩は店内の照明の雰囲気にはある程度活かせているにせよ、油彩画に近いですね。
この様に紙なのに光っているように見える表現は、一般的に難しく思われそうですが、プロにとっては全く容易く描けます。
実はコントラストの明暗があるものの方が描き易いのです。
ただ、品よく描けるかどうかはかなり作家によって分かれるところですが。。。。
最後の絵は公開制作で描いたエッフェル塔がある夕暮れです。
人のなが〜い影が面白いと思って描いたので、夕陽そのものよりも、そちらに目がいくように仕掛けています。
これらの光源そのものを画面上に取り込んだ絵は、もう描かないかも知れません。(教室でレクチャーならします)
今でもどうしてか、見ているだけで膨満感が先行して、ゲップが出そうになるのです。
色々とシチュエーションを変えて(目先だけを変えて)描きましたが、鑑賞者の関心が光があるように見えるという一点に行き過ぎるのも、良くないです。
先述の通り、大した事をしないで感心される事に迎合したり、悦に入るのは、画家として品がなくなる大きな要因になります。
当時「光の表現に長けている」と記事にされた時に、こりゃあマズイと思いました。
ただ、西陽などが何かを照らしている間接光の表現は追求して行きたいと考えています。
この風景(2018年作)には、穏やかな陽射しを浴びた家屋や路面が印象的ですが、しつこさがないので心地よい清涼感があります。
パッと見は、インパクトがない割に作画は光源のある絵より難易度が高いという点が面白い。振り返っても数少ない成功例かも知れません。
また柔らかい間接光ならではの哀愁や感情が込められるところにも魅力を感じます。
2024年は風景画を描くでしょうか? 念願かなって東ヨーロッパに行けたら描くのは間違いありませんが。