私でも描けますか?
これが描きたいけれど難しいですか?
このふたつのモチーフの内、描き易いのはどっちですか?
大人は問い掛けます。
これらの問いはすべて、失敗をしたくない(恥をかきたくない)一心から出て来るのは理解出来ます。
どうしてもこれが描きたいという信念に従えばそれに越した事はないのですが、描きたい以前に描ける保証を他者に委ねます。
万が一、失敗したとしても責任転嫁をし易くなるメリットがあり、少し気が楽。そうやって果てしなく自身のリスクを軽減しようとする。
こういった心理に陥っていると感じた場合は、極力回避して下さい。
セルビアでライブペイントした時も失敗 o(≧▽≦)o
回避するとは、リスクの高い方を選択するという事です。
失敗や挫折は、経験と実力不足だと受け止める。やりたい気持ちを優先すれば、それらはむしろ仕方のない必須の通過儀礼であり、そのお陰で身につく事が実感出来ます。
そもそも失敗を認めたくないのは邪魔なプライドがそうさせるのです。
ブライドは見栄であり、単なる体面でしかありません。持たないに越したことはありません。
清々しい失敗こそが誇りであり、自信はあらゆるの失敗を経験することで養われます。
とは言え、同じ失敗を繰り返したくないのは、流石に私も一緒です。ここで大事なのは失敗の質や種類を変化させて行くことです。
自分を笑い飛ばそう!
正月に帰省した実家で母と茶飲み談義しました。
母はいっとき私に透明水彩をマンツーマンで習っていたのですが、どうしても一人では描けずに悩んでいました。
先述したような話を多少交えながら、背中を後押ししていましたが、驚いたのは、最後に母が言ったセリフです。
「あんたが画家になれたのは、私の才能を引き継いだからであって、私に描けない訳はない。」そう言ったのです。
これは大変衝撃的な発言且つ、究極の親のエゴとプライドであり、本心を初めて明かされた気がしました。きっと自分の子から習う時点で多少の屈辱感があったのでしょう。
ここで爆笑になり、私はもう付ける薬がないと言って会話を終えたのですが、そもそも私がどれだけの努力や修行、挫折をしたかという目線が欠落しているのです。
今も描く度に挫折はまとわりついて来ます。それは全く変わりませんし、寧ろそれが良いと思っています。
新年早々、直球でプライドと誇りについて話しました。いい大人がどちらを選ぶか? それは自由です。