アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

愉しい

以前描いた「なすびとどんぐり」の世界観を気に入って頂いた方からイラストのご依頼を頂きました。

サイズがひと回り大きいので、どんぐりの妖精?を一人増やして、雰囲気は同じながら背景や色合いも変えて描き下ろしました。

衝動的にうさぎ🐰も登場させることに❗️

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          「なすびとどんぐりとうさぎ」

自分の絵をコピーするだけでは、どうしても中身が空っぽになります。心がギュッとしていないと絵はただの紙になります。

内面的に同じ温度感を抱きつつ、表現にズレを出すのが良いかと思います。でも、これが結構苦労します。

小津安二郎監督の映画の様な感じでしょうか。あんな立派なものとは比べものにはなりませんが😆

 

そして、昨日の水彩画教室中には午前午後で10名の受講生さんがいらっしゃいましたが、レクチャーの傍らでこっそりと好きなものを描きました。

またまたうさぎです。

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          「青い焚き火」

私はこのうさぎに、どうしてか自分を投影していると感じます。でも、性別はありません。

手前にくまの子の後ろ姿、その向こうに2羽の子うさぎ。二本足で直立しているので、完全に擬人化、または非現実感を意識しています。

最近のイラストの特徴は、登場人物を囲む背景などに遠近感をいくつも仕掛けるというのがあります。透視図法をご存知の方ならお分かりでしょうが、消失点が2つ以上ある訳です。

というよりも、絵の中に地平線が実在しませんので、消失点を見つけようがないのです。

 

次の様な風景画を描く時には、見えない地平線とその上に一個存在する消失点が何処かを原則的には守ります。

守った上で、若干ですが真面目になり過ぎない程度にはぐらかしています。

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🔴が消失点です。勾配の線を辿ると全て消失点に収束します。

 

こちらは山の向こう側にある地平線を理解して描いています。🟢が消失点となります。

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絵を描く際に、構図が落ち着かないなど悩んでしまう場合に透視図法や遠近法の類いは有効です。

これらをすんなり理解出来る方は、空間意識を捉え易くて良いのですが、ピンと来ないとか、余計混乱する、殆ど理解出来ない方も教室にはたくさんいらっしゃいます。

それは、音楽で言えば楽譜は読めないけれど、耳で覚えて歌を唄えるなら、それで構わないというのに似ています。(←私の話ですが😅)

 

私はイラストや絵本の原画などを描く場合に、これを作為的にやっているというよりは、風景画ではしたらまずい遊びを自由奔放に楽しんでいる訳です。

そもそも風景画で地平線や消失点を複数設定すると、シュルレアリスム(超現実主義)に属してしまいます。

サルバドール・ダリのこの絵は垂れ下がった懐中時計が一番に目に飛び込んで来ますが、それ以前に既視感のある自然の地平線(=水平線)の遥か上に消失点を設定する事で、鑑賞者は空間の歪みを感じて、精神的な居心地の悪さに誘導されます。

 


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ジョルジュ・デ・キリコは、無数の消失点を仕掛けます。この絵の場合、様々な重量感を感じるオブジェが床に鎮座しているのですが、床が登り坂になっている様にしか見えません。

消失点を探そうとすると空に向かいます。オブジェが屹立しているので、どんどん混乱が生じます。


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おまけに遠方の建物の遠近法は全てバラバラです。私がパッと数えても8本以上の地平線が存在します。

これらは全て計算し尽くして描かれており、なんとなくこうなったとか、間違っていたなどという事はあり得ません。

既成概念や固定観念にまみれた感覚を揺さぶる意味で、非常に興味深い技法ですが、のんびり眺めたり、自然を愛でるなどという風景画のもつ快楽とは全く方向性が合いませんね。

 

なのにイラストであれば、必ずしも精神的に不安になるとか、居心地が悪いとかに繋がらないのが絵の面白いところです。

描けば描くほど奥が深くて愉しいという話でした。