先日の投稿でワークショップはキッチンであり、授業ではないという記述に触れられて「?」となられた方々にちょうどいいタイミングでこどもや赤ちゃんのキッチンの様子が届きました。
何かと関わりのあるセルビアのシャバツ図書館の庭で繰り広げられた野外ワークショップ。
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ご覧になれば何かが伝わって来るかと思います。
窮屈な思いでここにいる子はいない。やらされている感がない。
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大人は子どもを支配したりマウントを取らずに、援護し、守り、助力により間違いなく支えている。
この時間を体験した子たちはやがて、次の世代の子どもを同じように支える喜びを持つでしょう。
アートと食事はほぼ同義です。だからキッチンなのです。