絵の事を考えない日はないどころか、夢の中でもずっと考えているのですが、何となく3ヶ月近く自作を描かずにいます。
一介の画家ですが、絵はご飯の種ではなく、一番汚したくない宝物として向き合うようになって来たなぁと最近感じます。
宝探しだから夢の中でも続くのかと思います。
フリースクールや絵の教室中に集中しないで落書きをした時に、ポロッと気に入ったものが出てきます。
これは落書きのようで、似て非なる楽描きと捉えると腑に落ちます。
全く気負わない、練習しない、迷わない、思わず吹き出し笑いをしたり、あくびをしたり、そんな感じで生理的に絵が飛び出して良いんじゃない。
その方が私的にはいい絵に感じるのです。
但し、気負わない、練習しない、迷わないなんて人間には無理です。これらは普段嫌という程やり尽くしておくことで、一瞬だけ遠ざける事が可能となります。
フリースクールの畑で獲れたじゃがいもを大きさに合わせて、おチビちゃんとか赤ちゃんと呼んで、子どもたちがじゃがいもの背比べを始めました。
それはそれは素敵な時間でした。
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私には何も創造出来ないですが、感じることや感心することは出来ます。
この子たちとの時間によって、じゃがいも家族がでて来ました。
次いで、布団でごろ寝するじゃがいもも出ました。
他の大人からはしてはいけないことを学び、子どもからはそうするのがいいことを知ります。
宝というと宝石のように高価でキラキラ目立つものを目に浮かべる方が多いのですが、これは罠であり、してはいけないことの一例です。何も主張しないものに本質は潜みます。
このコンサートでは、ここで申し上げたことを唄にします。私にとって、出演頂くメンバー全員にとっても明らかに作品として世に問います。
歌は気負わずに関わるれる境地には程遠いので、必死で食い下がって行きますが、子どもへは恩返しとして、楽しんでもらえる内容にします😊