写真を整理していると、3年ほど前に描いたであろう2点の作品が目に止まりました。
虚無感に満ちた薄情な感じが、今見ると返って清々しく思えるのが不思議です。
そういう意味では最近描いている絵とは真逆ですが、両極があって良いと思います。
この絵はまだ現存していますが、一般公開はしていません。
縦が50cm以上あり結構大きいのですが、クレヨンを走らせてから、直ぐに透明水彩で着彩しました。
一部あえて水がスカスカのガッシュの様な乾いたタッチも入れていますが、気持ちよく描けたので、実家にしまってあります。
殆どが破壊、破綻しているのが魅力で、日本は未発表のままセルビアでだけ原画を発表しようかと思います。
何故ならセルビアの哀愁が憑依しており、向こうの友人なら喜んでくれるだろうから。
ーーーーーーーーーーーーーー
一方次の絵は、描いた直後に嫌気がさして、数日後に棄てた絵です。
同じく破綻している感じもしますが、そうではなく本来はもっと見られる絵にしようという目標を立てながら、それに至らず失敗しただけ。
なので自分で受け入れられなかったのです。
既にこの世に存在しない絵となったこのタイミングで見ても、樹木や路面が非常に拙いのですが、建物の中のネオンなどには少し惹かれます。
燃やされるという、儚い末路を辿った原画ゆえの最後の命の輝きの様に見えて、切なくなりました。
いづれにせよ悪い絵なので、燃やして後悔はないのですが、遺影として写真は残すのは、これからもして行きたいと思います。
「破綻」と「失敗」の違いを一言で言うと、「破綻」は表現の一部、遊びであり、「失敗」は間違った表現と解釈出来ます。
※ 画家の世界では、SNSにアップしたからと言って、発表作品にはならず、原画を一般公開したことで発表となります。