アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

憧れる絵

今日はすごく良い事件を目の当たりにしました。

なんと心だけで画面が埋まった絵が2つ同じテーブルで出来上がったのです。私の作品ではありません。


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大津オルタナティブスクール トライアンフで何気に絵を描く用意だけしたところ、HちゃんとスタッフOさんが並んで絵を描いたのです。

どちらがどちらの作品かは予想して下さい。

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写真を見たらわかってしまうと思いますが、微塵も迷いがないのです。

「こうした方が思った感じになるかな?」という一瞬の間合いはあっても「ああ、しまった。」や「これではいけない。」と迷った形跡がないという意味です。

 

つまり、それは心や感性、そして作画が全てシンクロして瞬発力でもって画面に定着している様を指します。

その上に愛着があり、楽しんで描いている。これがどれ程、困難なことか!

何故ならば、他人の眼ありきの自意識がどうしても制動をかけてしまうからです。

もっと高い理想を抱きつつ到達せず満たされないジレンマを抱くばかりの大人には到底こういった絵は描けません。

そもそも、描きたいとも思っていないでしょうが、私にとっては憧れる絵なのです。

アカデミズムからも遠いところにいる、この2つの絵の美しさたるや、相当なもの。もう私には敵わないのです。

 

全く気負わず、絵を描き終わってのお弁当の時間。スタッフOさんは小さなHちゃんが食べ易い高さの組み立てテーブルをサッと用意していました。

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ここでも「他者が自分をどう思っているか?」という自意識を軽々と超えて「Hちゃんにどうしてあげたら食べ易いのかな?」にしか関心がないのでしょう。

「こういう人柄でなければ描けないのだなぁ。。。」としみじみ思う私でした。

 

もうお分かりかと思いますが、スタッフOさんの作品がこちらです。この絵は今年私が見た大人の作品中、一番素晴らしいです。

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これを一般的には幼稚で稚拙だと揶揄することは容易いですが、この自由さに大いなる教えがあります。ひまわり種が格子の線のみで、周りの黄色い花びらも同じ太さの線であること。

これが素晴らしいく簡潔な表現となっています。(余分な手が入っていない!)

カップには色とりどりの丸が描かれていますが、この配色はわくわくして、喜びや嬉しさが表れています。右上の青虫には顔がなく、左下の団子は青虫のフォルムを繰り返す事で、画面をユニークにしています。

齧ったイチゴかリンゴ、または木の実。凡庸な感性の人なら画面下のスイカと上の青虫の配置が入れ替わるでしょう。

先ず、凡庸な私がそうしそうに思うのです。

 

この絵でも虫を下に描いているのがその証拠です、画面下を地面に見立てた空間認識をしている。

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非常につまらない感性と言えます。

 

私は天才型ではなく、努力した秀才型で絵の修行をしてきたので、天才的な絵は描けないのですが、天才の何がどう凄いのかは理解できる様にはなりました。

Oさんの絵から、すごく大事なことを吸収させて頂き、幸運な日になりました。

 

私は絵を描かずに綿菓子作りに奮闘しました😆


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