このところ子供を中心として人間と深く関わる時間がどんどんと膨らんでいます。
自分の中では、これまでやって来たことの良い面も悪い面も含めて総動員して成せている実感を強く感じます。
良い面って一体何なのか、 成功体験や達成感でしょうか?
逆に悪い面は何? 失敗や挫折、裏切り、怒り、憎しみ。
子供時代は自閉傾向が強く、極度のあがり症に加えて対人恐怖症をどうにか克服して、壮年になりました。
還暦が近い今でも人見知りが激しいと自負しています。
とても社会人には向かないと自ら思い込んでいたのですが、ここに来てそれらは芸術家の資質特有のものであり、単に物事への向き合い方や視点に独自の感覚があったからに過ぎないと理解したのです。
私の思う社会と一般社会にズレがあるだけ。世間の物差し・価値観とは相容れないから苦しいと感じ、自分は適応性が乏しいと思い込んでいただけなのです。
そういった事も含めて役に立っているのは、悪い面の方だと思えるのが意外です。
同じように思っている側の心理がよく理解出来るのは、苦しい思いをしたからこそであり、こどもアトリエ青のワークショップ中や託児、フリースクールのスタッフをしている時に非常に役立っています。
人と接する時は肯定出来る部分を探してコミットした方が良い事は頭では理解していますが、それでも叱ってあげるのも時に同等に大事だと強く思います。
虐待・無関心は良くないですが、愛情たっぷりに叱ること、これは一番難しいと思います。
怒ることと叱ることの本質的な違いは思いやり(愛)があるか否かです。
怒るのは自分であって相手のためにならず、叱るのは相手のためだけであるべきです。人間には感情がありますからパーフェクトには行かないし、ない混ぜになったりもよくします。
本気で叱っても、怖がられてしまって離れていく場合があります。でも、数日〜数年経過するとしっかりと伝わる事も多いです。
自分を嫌いになって欲しくないから誉め殺しするのは、本質的な肯定ではありません。それは自分のためにしている行為だからです。
肯定は叱るとセットです。一瞬嫌われても叱るのには勇気が要ります。
性格にもよりますが、誰であろうと、大らかに叱りたいです。静かに穏やかな口調で叱る時、目を見るだけで、それは相手に残ります。そこに芽生えるのは感謝という最高の思いです。
一旦、拒絶しても感謝は後から湧くので、それを待つのも良いものです。
以上から本当の良い面は成功体験や達成感ではなく、人から思ってもらうことと言えます。それに対する感謝が私の表現には全て潜んでいます。
自分を押し殺さずに思うことの出来る仕事に就けている。全ての苦しみが報われる時がくるとは。。。