アトリエ青 Atelier Blue

画家・アートディレクター 石田泰也の日々の活動風景をお届けしています

描く事は◯◯

私の活動している滋賀県大津市辺りでは桜が満開。しかし、この春の訪れの象徴の様な景色がどうしても苦手な私。特に子供の時から花見という行為の品のなさには辟易します。大声で酔っ払ってブルーシートを敷いて騒ぐ。

桜の淡い紅花がブルーシートの青で台無しになり、世界の色感の調和が崩れてしまいます。+喧騒。これは絵描きにとって、とてつもないストレスなのです。桜を遠目に見て愛でる。そっと花弁に触れてみる。それを心に仕舞い込む。それなら良いのですが。。。

京都の夜の円山公園などは、まさに地獄絵図。昔、夜桜を描きに出掛けたものの気が狂いそうになって、とっとと退散した記憶があります。今はそれがPTSD(心的外傷トラウマ)になってしまい、桜が咲くシーズンは息が詰まる様になりました。

前置きが長くなりましたが、今日は同じ風景を2回描いたものを並べてみました。


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ベオグラードの西陽の当たるアパルトマン。実はこれをモチーフにした4枚の絵が存在します。何故これに私は惹かれるのか? 一般的には「桜みたいな美しいものはないし、ここには街の喧騒しかない。」と思われるむきもあるでしょう。

でも私にとっては全てが調和しているのです。傾く西陽に照らされて、私以外にこの美しさに魅入っている者はきっといません。だからそれを〇〇して伝えるために描く。


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サイズが違うだけで同じ絵に見えるチュミチ村の廃校。

友人のランプ作家ゾランが「とても雰囲気が良いから一緒に見に行こう」と、連れてくれました。建物の中には入れませんが、校庭を散策して築1.000年を超える無人の校舎の白い壁を愛で、その中で授業を受けた子供たちは、その後歳を重ね、天命を全うして、消えている。崩れ掛けた垣根は朽ちかけて残ってる。

ゾランは私にそれを見せたかったのだと気付く。心震えながら色んなアングルで見て、ここも数枚描きました。とにかく、ただ〇〇する為に。


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ノヴィ・サドの教会と通りの往来の群衆。人は動くけれど、建築はどっしりとそこにある。それをどうしても〇〇したいから描く。このモチーフも4枚描いた中の2枚です。

〇〇に当てはまる文字は、肯定です。絵描きは創造者・クリエイターではなく、発見し、気付き、知らせる。世界にある肯定すべき事物や感情を他者に伝える。そのような立ち位置でいたいと私は思います。風光明媚なものを描く事を決して否定しませんが、私からしたらそれは絵描きとは呼びません。それは絵になる前から世間から美しさと共に評価されているからです。

だから表面的な絵になってしまうのでしょう。