アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

再会

20年前に描いた30号の油彩画が実家で見つかりました。アトリエ青だった古民家を引っ越す際に、焼却したと自分では思いこんでいたのですが、実家に眠っていたのです。

思わぬ「再会」となり、正直なところほっとしました。燃やさなくて良かったです。


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タイトルは「巣箱のある風景」です。原画は個展で発表した事がないのですが、この作品は京都御苑内の林に7回ほど通い詰めて現場で描き上げました。

 

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紅葉や銀杏の木が紅葉する前から着手して、丁度ピーク時頃に完成する様に逆算しました。

この頃は小泉政権時代で、御苑内の迎賓館にブッシュ大統領が宿泊するという事で、警備体制が尋常ではなく、持ち物検査や職務質問を受けながら描き続けた事も昨日の事のように思い出します。

 

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恐らく、私が画家を装ってテロ工作(爆破等)をする者と疑われたのでしょう。

それはさておき、印象派に傾倒していた私が、この作品を描いている時にトランス状態(恍惚感)になってこれらの風景と自分が一体になったのです。

 

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一体になるというのは、万物の塵に等しく自我がなく、「私と世界」・「私」対「世界」という認識がなくなり、私が溶けて世界を構成する一部になったと言えば分かり易いかと思います。世界とは宇宙とも言い換えられます。

作品自体は圧迫感があって、取るに足らない出来栄えですが、30代の時のこの経験は後にも先にもこの時一回だけです。

 

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しかし、この経験はこれ以降の私の風景画の善し悪しを判断する上で、大きな影響を及ぼしています。

芸術を自己表現と言う方は多く、私もなんとなくそうかな?と思ってみたり自己否定をしてみたりしましたが、両方ともが雑念でしかないと考えるようになりました。画家は受容体の役目の比重の方が高いのではないか!今もその考えは変わりません。