アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

嘘がない

不登校児の支援スタッフとして小中学校生と関わっていますが、それぞれ学年が違うと感じ方や思考も違います。

その上、個々の個性や能力なども様々なので、まず第一に考えないといけないのは、思い込みで接しない事です。

会話やコミュニケーションは同性のスタッフの方が取っ掛かりが掴み易い場合が多いのですが、これも一般的に最初はそう感じるだけで、実際はそうとも限りません。

何故なら、その子の性別という先天的な要素以外の両親、親子、兄弟姉妹の関係性など家庭環境による後天的要素も大きく影響するからです。

性的マイノリティなどが先天的か後天的かなどもとても大きく関わるのは言うまでもありませんね。

お父さんや、お兄ちゃんと仲が良い女児の場合は、男性スタッフの方に早くなつく可能性があります。逆にお姉さんや、お母さんと仲が良い男児の場合は女性スタッフに。

では、お父さんと仲が悪くて、お兄ちゃんと仲が良い場合は?

お父さんと仲が良くても、お姉さんと仲が悪い場合は?

長女か長男か、次女か次男か、末っ子か、一人っ子は?

義理の兄弟姉妹や、義父母がいたら?

そういった背景の情報が予め聴き取りで入手出来る場合もあれば、一部欠落していたり、歪曲されている場合もあります。

またこちらが支援している立場で一方的に接したとしても、肝心の子供の方が我々を一大人・人間として、信頼が置けるのか、懐に入れるのか、素の自分を出しても大丈夫かを計って当然だという理解が大事です。

そもそも我々自身が一人ひとりとても個性的であり、スタッフとして一元的に括れるものではないと子供が思っていると客観的目線を保持しなくてはいけません。

毎日一緒に暮らす訳ではないので、最低でも初対面から半年以上経過しないと、自然な交流感情は芽生えません。その間に一体何をするのかというと、付かず離れずの距離感でただ一緒にいる時間を積み重ねるだけです。

その子の背景を情報に頼りすぎて色メガネで捉えてしまう危険を回避するには、返って何も知らずにありのままのその子だけと向き合う方が適しているケースもあります。

その時に嘘がないのがその子の作品です。


f:id:IshidayasunariART:20230305221854j:image

f:id:IshidayasunariART:20230305221851j:image

f:id:IshidayasunariART:20230305221905j:image

f:id:IshidayasunariART:20230305221940j:image

f:id:IshidayasunariART:20230305221943j:image

学校には自己紹介というとても奇妙な儀式があります。

何故か一旦そこでいきなり担任からニックネームを付けられたり、クラスメイトに自分の性格を開示し、そういう人なんだとレッテルを貼られるのは不自然極まりないと思うのです。

それは自己紹介をする際に凄く言葉を選んだり、反芻したりする事からも明確です。

下手をすれば自分のキャラ設定さえも方向性を変える決意をするなど、どんどんエスカレートして自意識過剰になるのに対し、絵は無意識に出ます。

稀にそうでもないのは、心理テストとか名付けてしまって描く時です。これでは構えてしまって逆効果になりますが、何となく描いた場合、私の経験ではまず自意識過剰になる子はいません。

描いた本人の心的な負担がないのに自分を語るという意味で、絵は支援にとても有効なツールです。絵に関わらず芸術は全般にそうです。

f:id:IshidayasunariART:20230305121840j:image

絵から直感的に読み取る力は、いつの間にか身に付いていたというのが正直なところです。

それをもっと強化する為には、絵以外の事を学ぶことが大事だと思います。それは絵を全く描かない子に対して威力を発揮するので外せません。

中学生と一緒に絵を描きたいと常々願っていた事はようやく少しづつ実現しているのですが、自己満足で終わらないように配慮したいです。