先日「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」という映画をアマゾンプライムビデオで観ました。
北欧フィンランドの映画で、原題は「Tumma Kristus」(暗いキリスト) 世界公開用に付けられた「ラスト・ディール」は「最後の取引き」となります。
※下記解説はネットからの抜粋です。
「フィンランドの首都ヘルシンキで小さな美術店を営む72歳のオラヴィは、顧客リストは手書きで管理、領収書はタイプライターで発行するなど、いまだに古い商いを続けている老美術商。しかし最近はオンラインギャラリーの勢いにおされ、客足も遠のき資金繰りも悪化、店を畳む事も考え始めていた。そんなある日、美術商仲間に誘われ訪れたオークションハウスの下見会にて、彼は1枚の肖像画に目を奪われる。「男の肖像」と名付けられたその絵は署名もなく出所も不明で、仲間からも購入するにはリスクが高い絵画だと止められてしまう。だがこれまでの経験で価値ある作品と確信したオラヴィは、絵の背面に残された少ない情報を頼りに、2日後のオークションに向け調査を開始するのだが…。」
本作は、私が嫌悪するオークション会場の場面が出て来るので、気になりながら観るのをしばらく躊躇していました。
オークションを嫌悪する理由は、私のブログを読まれている方に、今更説明するまでもないと思います。不快だったら観るのを途中で止めようと観始めたら、ぐいぐいと惹き込まれて、最後は感極まって涙が出ました。
随所に絵や画家を愛してやまない年老いた画商の眼差し、決して商いで一括りにできない絵画の存在など、琴線に触れる場面が多々ありました。
娘と孫との関係性が主要なテーマですが、それと一枚の絵を巡る顛末が本当によく描かれています。
サスペンスではないけれど、じわじわとしたスリルなどもあって、途中で止めるどころか、ずっと食い入るように観ました。
フィンランドといえば映画好きな人には先ず思い浮かぶのがアキ・カウリスマキでしょう。
彼の映画の登場人物は感情がわからない程無表情な事と大の小津安二郎敬愛者として知られています。
余談ですが、カティ・オーティネン、マッティ・ペロンパーなど常連組の役者と3人揃って当時勤めていた映画館に来てくれた時、弾けるような笑顔で、映画と全く違うので会場は凄い熱気と歓喜に包まれました。
これは30年近く前の事ですが、鮮明に覚えています。
今回の「ラスト・ディール」でもフィンランド映画の懐の深さを思い知りました。撮影は今の日本映画の比ではないレベルだし、人間を描くだけでヒーローなどは一切出て来なくても、心にじわーっと語り掛けてくる。
これはカウリスマキ作品にも共通しています。
大人や歳をとった人であればこそ、感銘を受ける。そんな映画が作られる土壌がある事が真の豊かな国だと思えました。フィンランドはシ・オ・ミ師匠が近年渡航されたのですが、私も急に行きたくなりました。
映画はDVDが出ていますが、blurayは未発売です。
今ならアマゾンプライム会員の方は無料でご覧になれますので是非。
予告編はこちらで見る事が出来ます。(本編はこの何倍も深いです)
数日経過しても、未だにずっとこの映画に余韻が頭から離れません。なんとなく過去の懐かしい自分の絵を眺めて2枚が目に止まりました。
あらい(洗い)画法で描いて、セルビアの友人ブランコが買ってくれた夕暮れの絵。
※あらいとは、一旦着彩して乾燥させた状態から水を含んだ筆で絵の具を剥ぎ取っていく手法です。
Ishiyama satation (2015)
ベオグラードに実際に存在する花で包まれたカフェ(個人蔵)
Serbian cafe (2017)
自分の中にこの2枚が心象風景として同居しています。