一枚の絵にまつわる写真がセルビアの友人ボシコからシェアされました。
明後日に控えるコンサート&マジックショー〝Prayer from japan〟に合わせた良いタイミングで思い出を共有出来ました。
初の渡航はセルビア5泊6日でした。飛行機のトランジットを入れて27時間という長丁場なので、7泊した感じです。
撮影はシロカスターザ会長のボシコ・ジュリチコビチです。国際芸術交流協会などと大層な名前にしていますが、有志の集まりです。でも、日本で言うところのサークルにしてしまうとニュアンスが違うので協会にしただけです。
ボシコと私はお互いに自己主張が激しいタイプなので、毎日口喧嘩していました。
口喧嘩というのは、エゴやプライドが要因になる事が多いのですが、何というかあらゆる事において捉え方の違いが頻発した感じ。悪く言うと馬が合わないとも言えます。
ベオグラードの美術大学の見学に連れてもらった時、通訳スタッフ(グリーンのシャツ)マテヤ君は16か17歳でした。
大学に行ってもボシコと喧嘩していました。それを通訳させるのも今となっては酷な事です😆
村に行っても喧嘩。こののどかな景色の中だと言うのに、事ある度に対立していました。帰りの車の中でも喧嘩。
お互いに仲が悪い事で周りも、大変だったと今になって思います。彼の目線を受け容れる事もあまり出来なくて、一度は見た筈なのに植物の写真は記憶から消えていました。
これも、今なら肯定的に見ることが出来ます。
何故ならお互いに自分の主張を言い飽きて、相手への感謝が上回る様に変わったからです。
冒頭に貼った絵は、帰国して直ぐにボシコ撮影の写真を元に描きました。何故か当時、これだけは素直に肯定出来たのです。
この翌年にボシコと写真家でシロカスターザ フォトグラファーのブランコ・ブランダイスの2人が来日して、初日から喧嘩したのも懐かしい思い出です。
とにかく、色々ありつつも利害抜きで交流して来たのが、良かったかと思います。
国際交流や国際親善などと表向きは大仰に囃し立てざるを得ないのですが、一言で言えば「友情」。それだけです。
※ボシコの父、故ミロシュ・ジュリチコビチ作
いい振り返りが出来たので、コンサートではこの思いを歌に乗せて唄えそうです。