アトリエ青 Atelier Blue

画家・アートディレクター 石田泰也の日々の活動風景をお届けしています

入れて捨てる

表現は絵・音楽に関わらず、世の中に存在する、あるいは存在した大いなる先達の偉業(現存する作品)から影響を受けて真似をして良いのです。好きだから真似をするけれど、嫌いなものは真似しようと思いませんから人間として当然のこと。

但し、影響を受けて真似たら、今度は内に入れてしまうところまで行かねばなりません。内というのは自分の内面です。表面的になぞって終わりはいけません。そこまで行くと一旦自分のものになります。ようやく本当の意味で教示を受けたことになります。

それを反復して繰り返すと自分の内面がいづれ飽和状態、キャパオーバーとなるでしょう。そうなったら捨てられるものは捨てる必要が出て来ます。反復してというのは、好きだから真似をする対象の数が多い場合を指します。好きなものが一杯あるって素敵ですよね。楽しいですし、憧れは人間の良い感情です。

でも、そういう人は自分が分からなくなったり、何をどうしたらいいのか迷うのです。苦しみを抱き袋小路に入る時もあります。その時にはこう解釈してみてはどうでしょうか。表面的になぞれてもいないと自戒の念に苛まれていたけれど、内には入れてしまえていると。意外に思うかも知れませんが、自分のものになっている訳です。

気付かない内に飽和状態になっていると仮定するとしましょう。何をすべきでしょうか?先述した通り捨てるのです。なぞれていないというのは習得出来ていないと短絡的に考えるから、なかなか捨てる考えが起きません。でも、もう内に入れたのです。食べたのです。美味しかったならそれで良いではないですか。その味は記憶してさえいればいいし、思い出にしても良いのです。それが捨てるという事です。

捨てると言うのはぞんざいに切り捨てる事ではなく、感謝して忘れてもいいもの。ある時ふと思い出し、懐かしくなる感情は一旦捨てた場合に起こります。人間はそういう風に出来ているのですから、表現もそれで良いのです。入れて入れて、捨てて捨ててを繰り返していく内に自分の未体験の表現に立ち合います。

私が「自分で見た事のない絵を描きたい」とよく口にするし、ブログでも以前書きました。それはこういう方法で不意にやって来るんです。

ここまで話をしても、結局得たものは先達の真似ではないかと反感をもたれかねません。それはあり得ません。自分の生きている時間、周りにいる人達など、その殆どがオリジナルだからです。それを知らず知らずに表現に乗せれていれば何も問題はありません。

以上、これを読んで、光が少しでも見える人に捧げます。

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※写真は私が自分に入れた風景です。