昨日夕方にシ・オ・ミ師匠企画のコンサートが幕を閉じました。ジャンルは音楽、マジック、腹話術と何でもあり、更に音楽はシャンソンから前衛まで多種多様。出演者はプロ・アマ問わず。ところが、これでいて決してバラエティーショーでもなく、素人演芸でもない。既存の何ともかけ離れています。映画に例えるとフェリー二映画のカオスのひとときに似ています。そして、本物とは何か?を問い掛けるのがコンセプト。
本物の本質はプロフェッショナルである事とは一致しません。それは私が企画する展示会でも一貫しており、師匠からの学びを継承しているのです。こう書いても本物自体の説明にはなっていない事はわかっているのですが、直接関わらないと伝わりません。
師匠(中央)は言わば監督の様な立場で出演者全員を回して味を引き出して行かれます。それは相当な力量なのですが、飄々と自然に成り行きで展開している様にしか感じないのが凄いのです。
この真剣な遊び空間で一曲唄わせて頂くという時間を頂いた私。2年に一度くらい巡ってくるこの時間。本当に嬉しくもあり、そして恐いのです。師匠の眼は絶対に誤魔化せません。本物の絵描きになる為に私は日々生きているのですが、特にこの10日間は秋めいた空気に包まれて、神経過敏で感傷的になったり、センチメンタルになったりで、精神が放浪し、絵に向き合う余裕など全くありませんでした。
全身全霊で一曲唄う為には、そういったモードになるものです。私は当然歌手ではない、上手く唄うのでは駄目なのです。絵を描く様に唄う、これしかないのです。
タッチをいれる様に唄ってはみましたが、良いのか悪いのか全く自分ではわかりません。
でもこの経験は、唄う様に絵を描く事へと連鎖して行くでしょう。
この様に私は師匠を通じて沢山のアーティスト達とのご縁を紡いで頂き、一見絵とは関係ない様な行為を通じて絵を知ります。
画家のテクニックや描写力は、ただの道具・表現の手段に過ぎない。歌も同じで、本物はそれを感じさせない!という事を確信させて頂けた有り難い日となったのでした。更に本物とは何か?の旅は続きます。