1960年代にフランス人フランソワ・トリュフォーは「カイエ・デュ・シネマ」という映画批評誌でジャン・リュック・ゴダール等と共にアメリカ映画の評論を展開し、50年代のB級映画(二本立ての前座的一本目の比較的短い作品を指す)を擁護するなど、映画批評を革新へと導きました。
それをきっかけに次々と監督デビューを果たした彼らのムーブメントをヌーベル・ヴァーグ(新しい波)と呼んで一括りにされています。
トリュフォーの監督第1作「大人は判ってくれない」
今やアメリカ映画界の巨星であり生きた伝説的な存在クリント・イーストウッドはアメリカ国内で評価を不動のものにしたのが「許されざる者」ですが、ヌーベル・ヴァーグの監督達は「ダーティー・ハリー」ヒットの直後に自身が主演し、監督としてデビューした心理サスペンス「恐怖のメロディー」などをいち早く評価したのです。
ストーカー女に付きまとわれるラジオDJに扮した「恐怖のメロディー」
サスペンスの父と言えばアルフレッド・ヒッチコックでしょうが、イーストウッドは本作でヒッチコックをきちんとリスペクトしている姿勢に感服したのだと思うのです。
ついつい熱くなって、話がどんどん広がりすぎるのでヌーベル・ヴァーグに戻します。
※尚、ヌーベル・ヴァーグについては、詳しくネットで語られていますので検索されてみて下さい。
トリュフォーは結構若くしてなくなり、ゴダールは今も現役で映画を作り続けています。そして現代の映画界でもレオス・カラックスなどは、ヌーベル・ヴァーグの遺伝子を引き継いだフランスの映画人として特異な存在感を示しているのですが、「ヌーベル・ヴァーグ」は絵画で言う「印象派」に似たところを感じます。
共通項として、映画は撮影所を飛び出して手持ちカメラで手ブレを活かした撮影をしたのに対し、絵画はチューブ式の絵の具が開発された事により、アトリエを飛び出して、屋外で描いた事が挙げられます。何というか、風が頬を撫でる感覚みたいなものをそれぞれからは感じます。
クロード・モネ 《サン・ラザール駅の線路》 1877年
昔、私が映写技師をしていた頃にはトリュフォーもゴダールも頻繁に特集上映を企画して映写したものですが、トリュフォーの晩年の作品で主演もしている「緑色の部屋」などは特にろうそくの灯りでほぼ全編を室内で撮影するなど、屋外からの反転を見事に果たした傑作でした。
「緑色の部屋」
最近無性にこのトリュフォーの映画群を再見したいのですが、数年前に日本の配給権利を所有していた財団が経営破綻したことも影響しているのか、これらの観たい映画のソフトが全く市販されない状況が続いています。この様な映画遺産を埋もれさすのは、受け容れ難いことであり、残念で仕方ありません。DVDでは数本出ていますが、画質が悪いのがストレスになるので、観ない事に徹しており、blurayで手に入るものだけは、輸入盤で幾つか注文しました。
傑作映画は、見る度に新しい発見があったり、こんなショットがあったかなと見落としていた箇所に目が釘付けになるものです。先人の素晴らしい仕事ぶりに敬意を払い、金を払うのに躊躇している場合ではありません!
トリュフォーのblurayの到着を待つ間は、彼の空気感を湛えた街の蠢きの写真に目が止まり、作画に着手しました。実に10日振りの透明水彩です。きっとフランスではなくアメリカだとは思いますが、トリュフォーと組んだ撮影監督アンリ・ドカエの水を含んだ艶の様な静かな躍動を感じるモチーフです。
これは途中で、まだ半分くらいですが、明後日までには完成品をアップしたいと思います。