アトリエ青 Art Studio Blue

画家・アートディレクター 石田泰也の日々の活動風景をお届けしています

等身大

被虐待・自閉症・非行などの問題を抱えた青少年の自立支援員から知的・精神の問題を抱える方々の生活援助員に転職し、ようやく半年が経過しました。同じ福祉関係とはいえ、対応や業務内容には共通点が多い一方で、かなりの変化が求められるところもあります。どちらにせよ役職はずっとキーパー(非常勤)なので、キャリアが長い年長者の先輩方から、ひと回り歳下の正職員の方々に教えを乞うて、毎度冷や汗を掻きながら、精一杯ペーペーで働いています。勉強させてもらえる有り難さに先ずは感謝です。

キーパーにこだわるのは、私自身が精神障害三級と一番軽度の障害者手帳を取得する立場であり、とても正職員が務まらない事もある上に、肝心の水彩画教室やワークショップ・ボランティアの時間を優先し、思いつくままアート関連のイベントをプロデュースしたり、海外への長期渡航する自由を確保するためです。正職員だと労務規約上、教室(営利)を併行して運営出来ないという問題もありますが、大前提として全ての活動が少しでもマシな絵を描き続ける画家でいる為の方策だと考えるに至り、今のスタイルに落ち着きました。

描く絵から権威や名誉を全て剥奪する上で、ペーペーで働けるというのも好都合に働きます。狭い絵の世界で先生と言われてふんぞりかえるようでは、人間として傲りがちになり一番拙い方向に行きます。

昨日は精神障害者に関わる研修を受け、主に呉秀三(故人)という先人の精神病理学者について学びました。その活動の凄さはとてもこの場では言い尽くせませんが、近代日本に於いて革新的なアプローチを次々と試みた偉人なのです。

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統合失調症精神障害者は、世間から排他的に扱われがちですし、偏見に満ちた目で見られます。私自身もそういった偏見の芽がいつでも膨らむ危険を自覚しています。

福祉の仕事に従事しながらも、結局は専門家である医師などが治療・投薬を行う事でしか、治るものも治らないと投げやりな気持ちで対峙していた自分がいたのですが、研修のお蔭でとても有り難い気付きを得ることが出来たのです。

それは、統合失調症や精神病で苦しんだ経緯を抱えているからこそ、同じ苦しみを抱えている人達に歩み寄り添う活動をされている方々の等身大の声を聞かせて貰えたからです。その方達と精神医療に関わっている医師によるトークの中で以下の指摘がありました。

医療や投薬は脳や神経に作用する。

しかし、疾病を持った人の周りを取り巻く人間関係次第で更に萎縮したり、改善される場合もある。

もう一つは、その国々による文化密度の違いが、そのまま先進医療に直結する。

という3つでした。またこれらが相乗効果となり障害者そのものが豊かに人間性を確保した世界を生み出す一助になるという概念でした。

この話を聞いて私は眼から鱗が落ちたのです。自分が関わっている福祉の仕事はもちろんなのですが、は、セルビアと日本のそれぞれで、個展をしたり、ワークショップをした事で肌で感じていたものが、精神医療の先進性に少なからず関与したのだという気付きです。その時に私がこれから画家としてやって行くべき一本の道筋が照らされた思いだったのです。

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②③がリンクしている感覚は、元々私の中で漠然とあり、機会があれば訴えて来たのですが、個人的な思い込みなのかも知れず、時にはアートに不要な要素だと揶揄される事もあり、空回りしている気がしていました。

しかし、実際にその重大性を医師からも指摘される事で、等身大の力を注ぎ続けることが精一杯なのであれば、それを悔やんだり理解が得られないと諦める必要はないと慰められた気がしたのです。

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これからも等身大で活動をするんだとトークを締められた方々には、心を撃たれて共鳴し、ここがセルビアならば、ブラーボと言って固い握手で謝意を示すのが慣例ですが、日本という事もあり「ありがとうございました!」とお声掛けするしか術がなかったのですが、本当に足取りも軽く家路に着いたのでした。流石にこの日ばかりは怖い夢も見なかったです☺️

プロフェッショナルの条件

前回の「画家の条件」に続く、条件シリーズ(笑)第2弾です。あくまでも独断的な私個人の解釈であり、同意を求めているのではなく、恐らくは反感を煽る気持ちで投稿しています。アーティストは一般論に流されずに、寧ろ波風を立てる事が大事というポリシーから今回も書きます。

プロフェッショナルであるかどうかは、絵を売った瞬間に決まります。ギャラリーであろうと路肩であろうと100円でも1000万円でも、一枚売ればプロです。しかし、これだと話がそこで終わりますので、もう少し引っ張るとしましょう。例えば、それで生計を立てているか否か? 作品の評価価格が高額か否か? 大多数の人がそこに興味を持ちますが、そんなものは何の意味もありません。

私にとってプロの条件とは、画家である私自身が他人からなんと言われようと、最大のファンであり続けられるかどうかに掛かっています。自分の仕事の良し悪し、好き嫌いを評論家や観客ではなく、ましてや買い手でもなく、ギャラリーでもなく、自分自身が客観的に最高のファンでいられる事を保持できなければ、本物のプロではないという解釈です。

まわりの知人からは「早くブレイクする事を願っていますよ!」と、好意的な意味合いでよく言われるのですが、たまたま人気があるかないかは構わないにしろ、自分を殺して需要のある方向に寄せる事はしません。それは売春と同義であり、可能な限りそれは避けたいと思っています。

まあ、こう書いても負け惜しみの様にしか聞こえないとは思いますし、余りにも手前勝手な解釈だと反感を持たれます。そういう声も引き受けて尚且つ、そう考えているという事です。

よって、画家である私と、観客であり批評家でもある審美眼を持つ双方の目を養う必要があります。その具体的な行為のひとつとして、誰よりも先に観客である自分が批判し、時には褒め称える訳です。そうやって自分がどんな仕事をしたのか掌握し、責任を負えるかどうかが本当のプロであると思うのです。

なので、私は自分の作品を批判はしても、自分自身を悲観したり卑下する事はないのです。ちなみに、これまで描いた作品の9割以上は取るに足らない作品だと思っています。でもそう感じる事自体がプロとして間違ってはいないという証拠なのです。

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     ※子供に揉まれて修行している風景