アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

夏休み子どもイベント

 

私が運営しているこどもアトリエ青の夏休みイベントをご紹介します。

 

美術教育では個々の自由な表現力を抑圧し、時に潰してしまう事があります。

何故、こんな事が起こるのでしょう?

 

子供の持つ褒められたいという自我 が、大人が理解出来る範囲のものに迎合するからだと思います。

要は大人がそこにどう介入するか、何をサポートするかにより、子供は180度変わります。

 

伸びやかに表現する時に見せる子供の顔は作品と同じ様に輝きます。

 

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セルビア国連小学校ワークショップ 2015年11月

 

仕事で絵を描く画家も精神性において、とてもこれには敵いません。

しかし、こどもアトリエ青を通じて少なからず私は救われます。

 

私にとって子供のアートほど学ぶべきもの、気付きに溢れたものはありません。

それが真の報酬なので、教室でなくボランティア精神で活動しています。

 

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この活動自体は絵を描く事と同義なのですが、参加される方を混乱させるかもしれないので、独立したブログを運営しています。

 

アートワークショップは下記こどもアトリエ青ブログ内からお申し込み頂けます。

http://ishidayasunari.hatenadiary.jp/entry/2017/06/07/071121

自ら失敗を選ぶ

 

なんだか全然駄目だと思うんですけど、と人から言われる様に描いてみました。

それもそのはず、できるだけ失敗したいからです。

 

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理論では色彩一つ取っても、色相・彩度・明度が関わります。

平たく言えば色味・あざやかさ・明るさですね。

その他、形の捉え方、遠近法、質感などありとあらゆるものが総動員されて画面は出来上がります。

 

私の場合、それを使いこなして見事な絵と言われるものだけは描きたくないのです。

裏返せば、何を放棄すれば愉快な絵になるのか? を反芻しています。

また絵の魅力とは何かという事と、見事な絵は違うと考えています。

 

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1枚目が面と色彩の乱調の実験。

2枚目は線と省略の実験。

 

どちらも作品としては破綻しています。

失敗を目指す事でしか自らの枠を広げる事は出来ません。

 

 

但し、これらは基礎が全て出来てからの話なので、誤解のない様に。

 

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3年前に描いた公募展用の紫陽花庭園。これを描くのは朝飯前ですし、受けも良い。

ある種見栄えのする絵。だから駄目なんです。

 

こういうのを平気で葬り去ることが信条です。