私がスタッフとして関わっている不登校支援の大津オルタナティブスクール トライアンフ(フリースクール)は、一般社団法人異才ネットワークが母体です。
異才ネットワークではフリースクールにとどまらず次のような様々な活動をしています。
◆イヤにならない勉強教えます「異学舎」
◆大人の発達凹凸の会イロイロ
◆不登校の子どもをもつ親の会ワクワク
◆生きづらさを抱えるギフテッド・2Eの子どもをもつ親の会シャイン
親の会を取り上げた最近のNHKの番組一部掲載 https://www.nhk.jp/p/ts/8RG6LZ736N/blog/bl/pdVzWyQwed/bp/pw0GAR8gAX/
◆セミナー事業
◆カウンセリング事業
「発達障害や生きづらさを抱えている」と聞くと、世間一般的にはまだまだ「気の毒な方」「問題を抱えた方」というマイナス印象を持たれる風潮が絶えません。
発達障害と知的障害・精神障害・身体障害は同義ではありません。また複数が混在している場合もあり、人それぞれです。
そこの理解も当事者を持たない家族は関心がなかったり、また気が付いていない場合もあります。
とにかく障害と聞くと厄介で面倒なので、関わりたくないという偏見を持った方もいるでしょう。
その事自体を打破しよう。それは人間社会の多様性であって、排他的に扱うのはもってのほかであり、少しづつ肯定的に捉えられるように仕掛けていこうというのが主旨です。
ひと言で言うと、存在意義が認められて当然だという事です。
そもそも私のようにフリーランスで海外での個展、継続的な国際交流、絵画教室講師、こどもアトリエでも海外も含めて子供と接したり、また託児をするスキルはどのように得られたのか?
これは自分の好きを伸ばしたからに他なりません。
※以下に掲載した写真はベオグラードでワークショップをしたアート教室の最近の授業風景です。講師アナ・ジャポビッチの主旨にシンパシーを感じるので、また今後、渡航の際には交流したいと切に願っています。その気持ちも込めて転載させて頂いた次第です。
幼少期から非常に変わり者扱いを受けて、発達障害(ADHD)を抱えているため、人の出来る事が平均的にこなせないジレンマを持ちながら、特異な分野では能力を発揮出来ていました。
幼稚園の頃には大人が出来ないような切り絵を感覚的に切る事が出来て、保育士の先生に「窓に飾り付けたいから沢山切ってくれる?」と頼まれた時はとても嬉しかった事を今も思い出します。
でも、小学校にあがってからは、平均的かそれ以上に全てがこなせていない限り、長けた分野があろうと全人格的に認められないという風潮が重くのし掛かりました。
元気溌剌とした子が善しとされたり、大人の望む模範解答をする子が良い子として持て囃されるのですが、そのもの差し自体が私にとって、かなり苦痛でした。何故、得意と不得意がある事(凹凸)をあるがままに肯定してくれないのか!?
スポーツの分野では、「全国大会出場」と垂れ幕を校舎に掲げたり、私には異様な光景が今なお絶えません。またオリンピックに出場しようものなら地元の財産のように政治的に活用されたり目に余る行為が絶えません。
でも、国際水彩画展に入選して垂れ幕を掲げられることはありません。スポーツは推奨され、肯定されますが、芸術方面はそのように扱われる事なく、才能が開花しても片手落ちの様に扱われます。
垂れ幕など掲げて欲しくはないですが、差別的な扱いだとは思います。
友人に聞くと、点数や順位、勝ち負けでスポーツは優劣が着くが、芸術は賞をとっても何が良いのかがわからないという意見がありました。漠然と賞を獲ったのだから凄いと思うだけだと。
これぞ正しく、一般的な芸術の正直な受け取られ方です。優劣はどうでも良いのに、こんな調子だから挙句の果てに作品を金銭的価値に置き換えるという愚行が蔓延してしまいます。
下劣極まりないこの価値観から私は遠く身を置いていますが、そういった意味でも芸術的資質で秀でたセンスを持ち、それが好きで得意な子供の能力を伸ばしていきたいという大人がいる事が重要だと切に思います。
私は数少ないながら、肯定してくれる方、味方になってくれる方がどこかに一人は常にいた様に思います。10年前に他界した父親もその一人でした。
実の親が肯定してくれるほど心強く恵まれた事はないでしょう。
※左の女性がアナ・ジャポビッチ先生
今までのジレンマや葛藤から得た真理、ある時は打ちひしがれ倒れ、また起き上がって打開して生きて来た実体験。その一方でその様な私の味方になって下さった数少ない方々から接し方や励まし方のスキルを吸収させてもらいました。
苦労や苦難が教科書や資格以上に、実践上の役に立つ糧になったのは幸いです。
好きや得意な事で収入を得るのは一向に差し障りありませんが、人の心を豊かに出来たり、幸せに出来るかに真価が問われるべきです。
元来、芸術・文化は人間にとり精神的に外せないものとして輝きを放つからこそ、それに取り組む人を認めるべきなのです。
残りの人生は芸術を通じて本質的な生命を輝かせて成長する子供、大人になっていく子供のサポートに還元して灰になろうと思います。それは単に献身ではなく、私自身の最高の人生の楽しみ方なのです。