アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

小津の個性③

ようやく本題に辿り着きました。この話は私が発見したのではなく、小津の後期作品の多くに撮影監督として関わった厚田雄春氏をインタビューした書籍から得た教えである事を最初にお断りさせて頂きます。

下の三枚の写真は秋日和の中で鰻重を食べるシーンです。昔のアサヒビールが座卓に乗っているのにご注目下さい。


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カットでは「引き」、「ミドルショット」、「バストショット」に分けられており、カメラの角度は全て違うのです。ところが、ビール瓶のラベルは全て同じ面を向いています。

これはスポンサーがアサヒビールだから配慮している訳ではありません。絵としてこの方がバランスが良いからです。大抵の監督は美術監督や小道具に任せて執着しないところでしょう。物語上でも何も影響はありません。

ただ、小津が平面的な絵画としてワンカットを作り込み愉しむためにそうしたと考えられます。ある意味で、空間が捩(よじ)れるミスショットとして指摘される恐れもありますが、観客は主人公の顔とやり取りを注視しているので、気が付きません。

常識を覆す小津の感覚はこれだけではないのです。

先と同じ写真の中から「ミドルショット」と「バストショット」でビール瓶の大きさを変えているのです。

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こちらは大瓶


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こちらは中瓶

説明をされても同じ瓶の大きさに見えるのですが、これが錯覚なのです。もし、大瓶をバストショットで使うと、緑線くらいの大きさ(大雑把ですが)になるでしょう。それだと瓶が目立って絵のバランスが崩れるのです。

もし、そうだとしても瓶を置く位置を変える程度で済ますでしょうが、カメラとの距離で静物と人物の対比に差が出る事を逆手にとって瓶のサイズを使い分けるという大胆な発想は小津マジックのほんの一例です。

これら全てが小津の発想だと、厚田雄春撮影監督は証言しています。

後々知ったのですが、バストショットのコップの中に注がれたビールの水面が水平なのも意識しているようです。絵画の場合はどちらかというと水面を楕円で描きたくなるのですが、小津は水平・垂直のラインによる画面構成に執着する傾向があります。

映画と絵画は同じではありませんが、小津の独創性が絵画とも大きな共通点をもち、とても勉強になるという事が伝われば幸いです。

 

ちなみに小津は達筆で、絵心やグラフィックデザインセンスも優れています。度々画面に映る小道具にあしらわれた絵柄などを自身で描くことも多いのです。

過去にこれらを網羅した興味深い展示企画「小津安二郎図像学」というものが開催されていたらしいのですが、私は残念ながら見落としてしまいました。

ネット掲載の写真一部を転載します。


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 豆腐のドローイング と、「彼岸花」台本の手描きイラスト

 


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小津直筆『お早よう』文字デザイン

川喜多記念映画文化財団寄託

 

f:id:IshidayasunariART:20230101184018j:image小津画 扇面色紙「貴多川」(江東区古石場文化センター所蔵)

この絵は丸味を存分に出しており、遊び心に溢れていますが、扇面型の色紙に対しての調和がとても素敵です。

 

普遍性に溢れたテーマを扱っているので見易い反面、映画全体はそれまでの既成概念を超越した独自性・美学で貫かれた小津芸術。それはあまりにも前衛的です。

前衛的な表現はえてして奇抜な面が目立ちますし、荒削りな印象になる傾向にありますが、小津の場合はどうして見事に調和するのかを考えると「品があるから」としか、その理由を思い浮かびません。