前回「小津の独創性が絵画とも大きな共通点をもつ話をします。」と言いましたので、続けて映画です。
主にアート系映画館で20年以上映写技師のキャリアをもつ私は、デジタルシネマプロセッサー(DLP)移行期の10年程前に完全に業界から撤退しました。
デジタル化される前は劇場映画のフォーマットは主に35ミリフィルムでした。
一言で例えると35ミリフィルムとデジタルとでは、蒸気機関車と電車程の違いがあり、機関士を辞めた感覚です。
35ミリ映写機(左・真ん中) デジタルシネマプロセッサー(右)
映画業界現役の頃、映画のスクリーンサイズは以下の様に4種類のサイズに分かれていました。( ) 内は縦横比率です。
①スタンダード(1.33:1)
②シネマスコープ(2.35:1)
③ヨーロピアン・ビスタ(1.66:1)
④アメリカン・ビスタ(1.85:1)
映画史的には、①が最初で、テレビ台頭に対抗して劇場映画に②が出来ました。1970年代以降に③が主にヨーロッパ方面で、④は主にアメリカ、日本で台頭し始め、①は現在ではほぼ自然淘汰されています。
これは35ミリプリント(国際規格)を元にしております。他に、シネラマやビスタビジョン、70ミリと呼ばれる一過性のものもあります。
それと現在のIMAXなどのデジタルも全てサイズが違いますが、話が複雑になるので端折ります。
この図はウィキペディアから転載したものに③を追加して、更に各家庭に浸透している液晶テレビの規格サイズ16:9を1.78:1に換算し、図に追加しました。
縦幅は1で同じですが、それぞれの線が重ならない様に微妙にズラしているだけです。
つまり、ブラウン管以降のテレビはオレンジ色なのに対して、古い映画はピッタリと画面一杯にハマっている事が珍しくないのですが、私からすれば上下左右のどこかが隠れている(トリミングされている)訳で、気になって仕方がないのです。
反対に左右上下に細く黒い部分がある場合は、35ミリプリントのオリジナル画面を尊重している証として、とても安心して没頭することが出来るのです。これは一種の職業病です。
映画館とは別に、サブスクリーン(サブスク)と呼ばれるNetflixやAmazonプライムなどを家庭のテレビで鑑賞している方が多いですが、それらのオリジナル配信作品は、最初から1:1.78で制作されている事が殆どです。
映写技師からすれば③と④の横幅の少しの違いだけで、それぞれに相応しい映画の官能性や匂い(気配)・ムードを感じます。その事を愉しみ、そこにこだわって使い分けて仕事をしていました。
これは余談ですが、実際のところ、③の作品はメジャー系では滅多に流通していない為、それに対応出来ず、安易に④で映写する劇場やシアターが多いのも実情でした。
映画をよく観る方でもヨーロピアンビスタという言葉はあまり聞いた事がない方が多いと思いますが、適正に上映されている映画館の方が少ないのが一因です。
つまり画面上下の絵を切って無理くり④で上映するという手抜きをしているのです。
私からしたら、作品を冒涜する行為に受け取れ、そういった映画館では中途退場して「対応出来ないなら上映を中止して下さい。」と抗議しましたが、他にそういう事を言う方がいないので、神経質でうるさい客(クレーマーの一種)としてスルーされるというのが映画館の対応の実情でした。
お客さんは映画館の画面は全て完璧に映っていると信じているし、映画を作った方も当然同じく。その橋渡しをするのが映画館なのに、手抜きするのは酷い。
自分の絵が勝手にサイズ違いのマットにはめ込まれた時を思えば容易く理解できると思います。
※ 左はOKですが、右はアウトです。抗議して当然ですよね。
私が勤務したいくつかの映画館の支配人自体が無頓着で「客にバレなければ構わないし、広い(横幅がある)方が迫力あるから良い。」などという無神経な発言をする輩が多く、アルバイトの立場なのにも関わらず、反論して煙たく思われる体験を繰り返しました。
その映画館は間もなく閉館しましたが、今から思えば潰れて良かったのです。その後、映画館を幾つか渡り歩くものの諸先輩は皆そういう私の感覚は理解出来なくはないけれど、そんなに気にならないという人ばかり。
私は映写室というのはもっと志しの高いものだと考えていただけに悔しいというか虚しい思いをしたものです。
それから徐々にキャリアを積み重ねて20代後半にようやく正社員として勤務した映画館も例に漏れず③の設備がないとの事。
ここでは上手く言いくるめてようやく③をきちんと上映出来る設備を導入しました。以上、私ごとの余談で恐縮です。
ただ、これらの話は小津監督と直接の関係がないにしろ、35ミリ劇場映画の4種類の違いによってイメージが大きく変わるという事を理解して頂きたくて書きました。
小津は1963年没ですので、その頃の映画館はこぞって②の作品ばかりが制作されていましたが、小津は生涯①を貫き通したのです。この行為は当時、世界的にみてもおそらく小津のみではないかと思われます。
①と②では縦に対して横が2倍近く伸びるので、根本的な画面構図や人の動きなどの演出が変わり、脚本段階から作り直す必要があるでしょう。しかし、それ以前小津自ら「②が好みではない。」と発言し、全く②で撮影する考えを持ちませんでした。
サイレント以降のトーキー作品では、小津安二郎=家族がテーマという印象で知られています。「晩春」「麦秋」「東京物語」「早春」「東京暮色」「彼岸花」「浮草」「お早よう」。晩年の「秋日和」「小早川家の秋」「秋刀魚の味」などの作品は全てがそうです。
「麦秋」と「東京暮色」
「秋日和」
そういった題材を反復して取り扱う姿勢と、一人①に執着している事も相俟って、映画に対して時代錯誤な古風で保守的な思想を持った映画作家だと誤解される節が多かったそうです。
その事はお客さんや批評家のみならず、反感を持つ当時の映画産業界にも浸透していた様ですが、実際は後期になればなるほど扱っているのは家庭劇であるにも関わらず、それとは裏腹に非常に革新的な映画手法に挑んでいた事が後々発覚していくのでした。
その中には映画の一般概念を破る独自の発想が多くあり、映画に文法などないと言わんばかりの小津マジックと呼べる技が潜んでおり、それこそが小津の最大の個性であると言えます。
絵画にも大いなる影響を与えた話に絞って話す筈が、話に力が入り過ぎて長くなり過ぎたので、次回に繰り越しとさせて頂きます😆