前回、作画工程をアップした母親の作品が仕上がりました。室内灯と屋外灯、それと日の暮れの間(あわい)の蒼白い空気感を同居させる。
その中に色とりどりの花と植物。建築の意匠や重厚感を盛り込むとなると、風景画としての難易度はほぼMAXに近くなります。
でも、幸い人物が不在なのと奥行きが限られている事は多少の救いかと思います。
母親は昨日庭の蜂の巣を退治した際に、小さな蜂にふくらはぎを刺されて痛がっていましたが、絵を描いている間は緊張と集中で痛みを忘れたそうです。
描き終わった途端に「あ、痛たたたた。。。」とさすっていましたが、精一杯描いた事は認めます。
花の種を売っているラックの格子が締まりませんが、自室に飾るには充分の出来かと思います。
この作品は、私が下描きから着彩の段取り、色の選択、水分量を全て説明・レクチャーしていますが、筆は一回も入れていません。
だから稚拙で、下手なところと妙に雰囲気が出ているところのアンバランスさが欠点でもありますが、その欠点の中に妙な安心感というか、魅力を感じるというのも不思議です。
私が筆を入れたらそれは台無しになると思います。何故なら計算し、先を読み切ってしまい冷たく感じるからでしょう。
そういう意味で、絵は何が功を奏して感じ良くなるのか未だに掴めず、奥深さを感じたのでした。上手いより感じがいい方が良い絵だと思います。
それは人柄などと同じですね!
例えば非の打ち所がない賢い人より、おっちょこちょいで憎めない人が愛されるのに似ています。ということは演じたり計算した時点でそうではなくなる訳ですからどうしたら一体良いのでしょう。
そんな問いが母親と絵を描いて、私の前に大きく立ち塞がりました。