先週伺った大津オルタナティブスクール トライアンフさんで早速2回目のワークショップをさせて頂きました。
フィーリングが合うと言うのは、この事でして、私が好きな様にして、子供たちも興味があれば参加する。私をたてないで良くて、私が来たいから来ている。
まあ、言えばこっちが邪魔しに行ってる訳です。それを鬱陶しいと思うも、どっちでもないも、まあいても良い。子供には大体この3種の感情があるのが当たり前です。私が得体が知れるまでノーコメントも正しい感情です。それを理解していないと関われません。というか関わるべきではないと知っています。
わざわざ来てくださっているなんて思わせたら駄目です。「また来ちゃった。」「あっ、そう。」これがお互いの居心地の良さです。
ところが、嬉しい事に先週のワークショップに参加しそびれた子供から「やりたかった!もっと先に言って欲しかった。」と代表の谷川さんが言われたとの事で、私はその子の為だけに飛んでいったのです。ありがたい話ですね。
ボランティアで一番厄介なのがやってあげている方の気分が良いだけの場合です。邪魔しに行って、居させてもらえる程度が真実です。
先生が子供を指導しない。画家として絵を描くのがどれだけ楽しいか。色のことを知ると嬉しくなる姿、それだけを見せる。挨拶したくない子は私をスルーする。それも子供の主体性であり、大OKです。何故なら無理をしない事。
ここに来ているだけで子供は既に頑張っているからです。
今日は、小学生から中学生合わせて8名もいましたが、それぞれ、ゲームなどやりたい事で交流して、絵を描きたいと言った子は2名でした。
私の感覚では、これが標準かと思います。初回は6名全員が参加しましたが、それは逆にやらない事で少数派になるのが辛いとう消極的参加の可能性もありますし、初見で私からの印象を良くしたいという気持ちがあるからかもと読みました。
これが続くと、私への気遣いとしてワークショップをやる事になり、やがてトライアンフに通う事自体がしんどくなる可能性があります。
それだけは避けたい。それなら私など出入りしない方が良いのです。私の事は便利に都合よく使ってくれて、徐々に時々くるのが普通の景色になって、一年以上時間をかけて絵を描かなくても話が出来る様になれば、一番良いのではないかと考えています。
空気の様な絵描きのおじいさんになりたいですね。
沢山の作品を展示会に出展してくれるので、私はとても感謝しています。是非、こどもアートをお楽しみに!