アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

子供が静かな時

こどもアトリエ青学校の授業の違いを如実に表すエピソードを含んだ友人宛のメールを見つけて懐かしく読み返しました。これを書いた頃から現在まで子供に接する際の自身の考え方は全く変わっていないなぁと、半ばあきれ気味に再確認しました。それをここに公開する事で、こどもアトリエ青Sundayの開催宣言に代えさせて頂きます。メール本文の個人名などはプライバシーに関わる為、一部修正を加えていますので、ご容赦下さい。

以下

2017年10月14日ベオグラードより◯◯さんへ

こちらは今、明け方の5時です。(日本時間は昼の1時)

9日に小学校で2年生のワークショップをして、念願の交流展示会もやっと形にすることが出来ました。しかし、更に気が遠くなる程、周囲とのギャップを感じてしまいました。

このワークショップの実現を真に理解してサポートしてくれたのは19歳の弟子の様なマテヤ君だけで、何もしなかった会長は当日だけデカイ顔で付いて来て、校長に「俺が泰也を日本から招きワークショップを出来るようにしたんだ。」と言いました。マテヤ君は「何もしていないのに手柄を自分のものにするなんて酷い。」と僕に耳打ちしました。

僕は「校長がなんと思おうと、気にすることはないよ。偉い立場にいる人間に誰が一番頑張ったのか褒めてもらう必要もないし、そもそも校長なんてどうでもいい。もっと大きな者が僕らの頑張りをきちんと見てくれてるから。」と言い。また、少なくとも「一番頑張ったのはマテヤ君だという事を僕はわかっている。感謝してるよ。ありがとう。」そう言って僕は彼を労いました。


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肝心のワークショップ中も、子供が盛り上がってわいわい言い出して「とてもいい感じだな〜」と思った矢先に、会長は教壇をバンバン叩いて「静かにやれ」と大声で怒鳴りつけました。僕はカチンと来て「子供が覚醒して気分が乗ってるんだから、声を出すのは当たり前だ。」と会長に物言いをして、子供には「みんな気にしないでそのままやってね。楽しければ騒いでいいよ。友達の邪魔さえしなければいい。」と言いました。なのにも関わらず担任の先生も会長も「あなたからこの子らにもっと日本の礼儀を教えてやって下さい。」と言われました。

そこで僕は「日本は横にいる友達の真似をする子が多いけど、みんなは自由に描いてるから、それを大事にしてね。僕は学校の先生ではないし、何かを教える為に来たのではないよ。みんなとこの時間を楽しむために日本から来た画家なんだ。そもそも絵は楽しく自由に表現するためにあるんだよ!」と真逆の発言を繰り返して先生を挑発しました。

ワークショップが終わると「子供たちはもっとあなたに敬意を払うべきなのに、騒いで申し訳なかったです。あなたは満足の行く授業が出来ましたか?」と担任から聞かれました。「だいたい大人が大なしにしてるんじゃないか。」と言いそうになりましたが、それはグッと飲み込んで「僕は子供が騒ぎながら表現するのはいい事だと思います。子供がいい顔をしていたので満足ですよ。ありがとうございました。」と言いました。それは本当に思った事なのですが、それでも泰也は私達に気を使って子供の無礼を許してくれたようだ、という顔をされました。

f:id:IshidayasunariART:20220122212217j:image※その時に撮った写真は一応笑顔で😆

長い話になりましたが、Facebookやブログに描きにくい事だったので◯◯さんに聞いてもらいたくて書きました。「2015年と同じメンバーで2回もやってるのに、この違和感はなに? 」という一日でした。

ところが、ワークショップが終わって2年生がだだーっと教室を出て行くのと入れ違いに、廊下で待っていた2年前にワークショップを受けた子供たちが数人入って来ました。みんな今は6年生になって背が伸びていてびっくりです! 照れ臭そうに笑っていますが、再会出来てお互いに嬉しいひと時でした。喜びを噛み締めて握手し、記念写真を撮りました。(※このブログのバナー(ヘッダー)写真がその時のものです)

そして上級生は、黙々と静かに机を整理し、付いた絵の具を拭いたりしてくれたのです。それを喜んでやっている顔が目に焼きつきました。「これが本質だ!」と何故かハッとしました。嬉しくアートと関われば、気持ちの余裕が出来て、人を思いやる事に目線を配れたり、何かしてあげられる事に幸福感をもてる子になる。それがこどもアトリエ青の目指すところだったのかもと気付きました。子供が静かな時は本来こんな時なんだろうな。「この光景が僕らへの報酬だ。」とマテヤ君に言うと、彼も深く納得した顔でした。僕たちはもう、何もかも過ぎた事は流して幸せな気分で学校を後にしました。

以上

 

私は決して学校教育全般を批判するという事でなく、教師を敬いますし、労を労います。ただ絵と向き合う時の本来の在り方に対しては、大いなる疑問を投げかけています。こどもアトリエ青Sundayでは、それに共鳴する日本の貴重な講師陣が同じ方向を向いてやって行きます。大層かも知れませんが、こういう縁というものは本当に奇跡に近いもので宝物だと思います。メールに出て来たマテヤ君は、過去の記事でも頻繁に登場しますが、若者で唯一私の活動の本質を理解出来るたった一人の存在です。日本の若者には未だ一人として彼の様な存在にはお目に掛かった事がありません。それでも世界に一人でもいるという事が凄い事だと思うようになりました。

意見が激しくぶつかったり、自己主張したりすると程度の低い喧嘩みたいになる場合もありますが、会長も先生もプライベートでは友人です。公(おおやけ)の時にぶつかって、プラベートでは気心が知れた友人関係でいるというのは、ストレスがなくてとても良いですよね!日本では到底無理な人間関係の構造です。