前回、紙残しと復元の話をしましたが、雪景色ほど紙残し甲斐のあるモチーフはありません。落書き的に描き殴っていた頃の絵の中からピックアップして来ました。
これらはいづれも雪の白さを紙残しのみで表現しています。黄色いタクシーのフロントライトも紙ですが、不思議と周りが黄色いとライトの灯りに感じるのです。敢えてライトと雪の双方を紙残しして、錯覚を愉しむ様に仕上げました。
荷馬車と佇む人の哀愁を寒々しい雪の中に描こうとしたこの2枚は、同じ写真を2回描いています。
右が先に描いた絵ですが、建物の屋根の積雪や街灯の灯りを描かなかった事で悔いが残りました。でも、紙の復元の要領で処置しなかったのは、全体に薄く着彩している事などにより、無駄に終わると判断したのでしょう。また荷馬車が妙に伸びてしまった事もあり、2枚目(左)では、そこを意識して臨んだのですが、今改めて見ると最初に描いた右の方がより哀切が出ており悪くない気がします。
以上の4点は紙残しのみで白を表現しております。
最後にドナウ河の河岸の秋を、雪景色ではないのに紙残し50%くらいで描いたものをご覧に入れます。
何故こういう事をしたのかは、記憶がないのですが「省略はどこまで可能なのか?」を実験したのかと思います。鑑賞者に雪景色だと思われた場合は、実験が失敗という事になります。雪景色ではなくて省略である事を示す仕掛けとして、木の幹をアクリル絵の具の白を塗って真っ白にした箇所を入れました。これで非現実的な効果が出ます。
少しだけ使う紙残しや復元ではなく、紙残しがメインの透明水彩もあるという事をわかって頂ければ幸いです。