朝晩はめっきり肌寒いですね。ただそれだけでセンチメンタルになってしまう私は、今日もふと3年前の丁度今頃のセルビア滞在時を思い出して郷愁を覚えるのです。
夕暮れの十字路の奥に灯る車のライト
ベビーカーを曳きながら話すママ友
村の庭で話すゾランと私
雨のバス停で同じ方向を見つめる人々
記憶は鮮明に甦ります。中でも一か月滞在したHaram roomsという安いホテルがとても恋しいのです。私と同年代のオーナーが個人経営しており、スタッフは他には誰もいない小さなホテルでした。彼に家族のマルチーズ、フランキーを抱いた絵を描いて欲しいと頼まれながら訳あって描けずに終わったのです。この件は3年前に書いたのですが、今強く思い出すのは、このホテルを発つ日の事です。
オーナーは私の名前「ヤスナリ」がとうとう最後まで覚えられず、呼ぶたびに変わりました。「ヤスヒロ」→「マサヒロ」→「マサヒコ」と全く一文字も重ならない名前にどんどん進化して、もうどうでも良くなった頃に最後の日が訪れました。私は早朝6時半のフライトでベオグラードのニコラステラ空港からアムステルダム行きに搭乗しなくてはいけなくなり、オーナーはタクシーを翌朝4時に手配してくれました。
玄関を開け閉めしてもらうだけで申し訳ないと思っていたのですが、夜中の3時頃に身支度をしていると、台所でカチャカチャと物音がしているのです。ドアを少し開けて覗いて見るとポットから湯気が立ち、彼がホットコーヒーを淹れてくれていたのです。
私の部屋の紅いソファー
ほぼ毎日彼は私の部屋にコーヒーを持って来てくれ、時には私の好物プレスカビッツァ(セルビア風ハンバーガー)を差し入れてくれて、一緒に食べたりもしました。でも、夜中の3時にわざわざ淹れてくれるというのは、申し訳ないと思う一方で嬉しい気遣いでした。
「マサヒコ」と間違った名を呟きながらこっそりと持ってきてくれたホットコーヒーは身体に沁みたのです。
「サンキュー」「サンキュー」
「次はいつベオグラードに来るんだ?」
「出来れば2年後に来たいと思っている」
「その時はここに泊まらなくても、ここに来てくれ」
「もちろん来るよ」
そんな会話をして荷物をタクシーに乗せると、お互いに目を潤ませてハグをしてタクシーに乗り込んだのでした。そこから空港までは涙が止まらなくなり、高速道路のオレンジ色の街路灯さえも切ないメロディーを奏でる様に見えました。それから3年経っても行けない。
それだけに際立って思い出す私にとってかけがえのない一杯のホットコーヒーの記憶です。ホテルはまだ無事に経営出来ているのか時々調べたりしてみます。センチメンタルな気分は秋の深まりに比例して、思い出が溢れるばかり、絵などとても描けないでいる絵描きなのです。