アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

畏るべき一人称

久々の投稿ですが、絵は全く描いておらず今日も映画の話です。これまでも度々映画に触れて来ましたが、レビューや批評という視点でブログにアップしているのではなく、画家にとり大いなる学びの対象としての視線を保っています。

1980年代後半にニューヨーク・インディーズという括りで、ハリウッドの大作に拮抗した映画群が日本にも入って来ました。その中の代表格であるジム・ジャームッシュ監督の2009年製作「リミッツ・オブ・コントロール」は、劇場デビュー作品「ストレンジャー・ザン・パラダイス」や世界的な知名度に繋がった「ナイト・オン・ザ・プラネット」に比して、それほど評判にはならないまでも、私には一番印象に残りました。

f:id:IshidayasunariART:20200320172016j:image

突筆すべきは、主人公が007の様な特殊工作員であり、殺し屋という設定でありながら、そこから想定されるアクションやスリルが全て排除されている点。もう一つはイギリス出身で香港の映画監督ウォン・カーウァイとの名タッグで知られるクリストファー・ドイルを撮影監督に迎えた点です。

前者は商業主義的なハリウッド映画を踏襲しつつ、観客をはぐらかす事で映画的スリルを生むという逆説的な手法をとっています。この場合の映画的スリルというのは、映画が成立するのか壊れるのかの瀬戸際を往き来するドキドキ感であり、話を追うにつれて主人公へ感情移入する事による心理作用とは違います。むしろ感情移入をし難い表現として効果的です。

後者は耽美的であり、心象風景的な要素を散りばめる事で映画の官能性と悦楽を湛えており、それまでの夜間撮影の名手、撮影監督ロビー・ミューラーの仕事とはガラリと変わった世界観が表出しています。

f:id:IshidayasunariART:20200320172027j:image

この2つが同居したジャームッシュの斬新な感覚が私を虜にしました。ネットから抜粋したカット写真をご覧頂いたら分かるように、何でもない情景に主体性(一人称)を感じます。映画でこの様な感覚に陥るのは非常に不思議なのです。通常、こういう情景は登場人物が眺めているという「主観」との説明がない限り、客観的(三人称)に見えるものです。

f:id:IshidayasunariART:20200320172052j:image

 

ここにも登場人物が写ってはいても、決して主観的なカットではありません。それなのに、観客は一人称に感じるのです。これは相当にエキサイティングな出来事です。小説でなら一人称と三人称にキッパリと分かれますが、何故映画でそれが出来るのかが、私には分かりません。

f:id:IshidayasunariART:20200320172103j:image

しかし、そこに重要な学びが潜んでいる事だけは直感的に理解は出来るのです。

 

何にせよ、公開10年を経過して、昨年末ようやくアメリカでblurayソフトが販売されていました。本当に待ちに待ちました。日本語字幕はありませんが、構わず即輸入手配をしました。何度も鑑賞する事で、未だにわからない謎に酔いしれ、そして解明を楽しみたいと思います。それはきっと今後の作画に大きな影響を与えてくれそうです。

f:id:IshidayasunariART:20200320172112j:image