アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

いない

このブログも続く時は毎日投稿しちゃいます。今日は心と身体の距離は反比例するという話。

この鳥取砂丘の写真は一体どこの家族!? 実は40数年前の父と弟です。スケッチブックを小脇に抱えているのが私で、撮影者は母です。この時、私はまだ小学生にも関わらず、妙な落ち着きと背丈から、いつも中学生に間違われていました😆 とはいえ、落ち着いているのではなく、実際は人見知りで引っ込み思案、人前に出ると極度のあがり症だったのです。この旅行中、蒜山高原牧場をスケッチした様な記憶があります。この頃、既に印象派に憧れて画家を目指していました。

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前置きはこれくらいにして、父はこの頃40歳か41歳くらいで、もちろん今の私より若い訳です。それなのに何故私より頼り甲斐がある様に感じるのでしょう?父は数年前に享年77歳で他界しました。それ以来、喪失感というものは案外なくて、感謝と尊敬だけが日々膨らんでいます。

以前在職していた施設で学んだのですが、親子のコミュニケーションは次の順で展開します。

① 触れる・触る

② 聞く

③ 話す

④ いる

⑤ いない

①〜④は、まあわかるのですが、⑤ のいないは、最初意味不明でした。いないというのは精神的自立に該当し、身体的・物理的に近距離ではなくなっても心の中には返って存在感が増すというのです。心の拠り所とも言えます。父親が他界して以降、膨らむ存在感はそれなのだという理解が出来ました。

これを学んだ自立支援員の仕事場では、④のいるという部分が大きな役割を担っていました。但し、いることが煩わしいと思われたり、目障りに思われても平気でいないといけません。それらは自立に繋がっていく一過程だとの希望的な解釈に置き換えて、自らを支えておく必要があったのです。でもそれって、親と全く同じ! 世の親というものの理想は誰しもが自立支援者でなくてはいけない訳で、これはなかなかに大変な事業を意味する訳ですね! だから大変な事をしているのだと思ったら良いのです。世の中の親御さんにご苦労様ですと言いたいです。そして、私も毎日父を思い、感謝してそれを他人にも還元して行きたいと願うのです。

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いつの間にか人前に出る事が全く平気になったのも、父のお蔭だと思うのです☺️ 

「お父さん、僕は元気でやっています。ありがとう。」