生活支援員の仕事に従事して、日々気づきに出会うことに感謝するばかりです。トイレ掃除が精神衛生的に凄く良い事はわかっていたつもりですが、最近、排便の処理が如何に尊い仕事かをようやく知り、今まで避けて通ろうとしていた事を悔いたのでした。
排泄物は汚いのではなく、生きている証のような点において、口から入る食事と同義であり一対になったものだと言う見解でHさんと一致したのでした。
その後、そんなHさんの人生の時間軸を地層状に描いてみせたという作品制作に立ち合いました。蔑む世の目を一個の巨大な目玉に集約し、偏見にまみれて迎合する輩を暗雲に見立てたという表現に感服したのでした。これはルドンの絵画をも思わす目玉です!
目玉が象徴する強迫神経症的な要素よりも悠然とそこを突き抜けた次元に描き手がいるところに魅力を感じます。この画面は完成されており、なにも手を加えたり、私とコラボする意味がないと言いました。
ところが私がその後にふざけて描いた「夏のコマネチおじさん」という意味不明のキャラ😅 それを見たHさんは「これコラボ出来るで!」というので、そう言えば案外面白いかもと、図に乗った私はコマネチおじさんを切り抜いて彼の画面にコラージュしてみました。
そうして生まれたのがこれです😅
もう一枚は逆向き😅
神出鬼没のコマネチおじさんが一体何を意味するのかは、自分では知り得ませんが、Hさんとの呼吸はぴったりだという事は確かです☺️