現地時間10月18日(水) 19:00からのオープニングレセプション。
少女のバイオリン演奏と共に私の2回目となるセルビアでの個展「Serbia on my mind」が幕を開けました。
美術史家ハイラ博士の解説に続いて私からも挨拶、ここで自らサプライズだと自ら豪語して歌を唄いました。
観客の戸惑いと動揺の中、私は音程を外すわ、感無量になって涙でむせぶわで、こんなに唄うのが大変だった経験はありませんでした。
でも絵を描くように唄えた経験も初めてで、そういう意味では下手で一番いい歌だったと思います。
下手というのは卑下ではなくて「上手くて感心だな〜」というものより「下手な感じなのに突き刺さるな〜」という絵を目指してるからです。それが歌に出た記念すべき日でした。
この場で歌を唄った画家は過去に例がないので、良くも悪くも記憶に残る一幕になったと思います。
主催者の国際芸術交流協会シロカスターザ会長のボシコ氏は「お前には呆れたけど、度胸に免じて許すよ、次はコンサートで来たら。」と茶化してくれました。
その後は訪れて頂いたセルビアの芸術家や水彩画ファンなど誰彼なく握手。
そして目で会話。
シロカスターザ会長と私が勝手に親しくなったセルビア人と作ったアートグループOAKのメンバーが一堂に会し対話。
翻訳スタッフのマテヤ君もみんなにパシリに使われながら、労いの言葉をもらっていました。
大人のパシリは辛いけれど、本当に貴重な下積み経験になります。
私も20歳前後はそういう雑用係をしたのでよくわかっています。
若い頃にちやほやされたら人間終わります。
大きなセルビアと私の輪が同じ日時に同じ場所で出来た。
それがこの個展の答えだったのです。
人波が引いたギャラリーに陳列された自作を見て、嬉しいというのはなく、壮絶な虚無感が襲いかかりました。
これも私が味わった事のない感情であり、ずっと戸惑いました。
友人にこの辛い感情を吐露して、助言をもらって大きな気づきがありました。
それは、そろそろ次回はお膳立てされた場でなく、画家生命が断たれるかも知れない程の孤独なステージに進むべきだという事。
そして、セルビアを描いていますではなくて、セルビアに描かされている画家になる修行に出なければそれは達成出来ない事を自覚したのです。
ポツンと譜面台に置かれた額、浮遊感が良いですね。
修行というと仏教を連想してストイックな感じに聞こえますが、決してそうではありません。
今以上にもっと人生と人の輪を楽しむ生き方をするという事です。
それを自分にたくさん入れて作品を描く。
自分が作品以上の存在になるという事です。
話が飛躍し過ぎて、ついていけないと思われる読者の方が多いでしょうが、私も自分で上手く言えませんので、どうかご容赦下さい。