お蔭様で福祉の仕事の転職が正式に決まりました。3年半に渡って従事した青少年の援助員を務めた自立援助ホームは今月一杯で終え、今度は知的・精神障害の方の生活支援員としてグループホームとショートステイの事業所を掛け持ちします。今月は既存の職場と2箇所の勤務や実習をこなすことで精一杯となり、絵はほとんど描いていません。
これらの仕事は福祉業界として一括りには出来ますが、自立援助ホームは15歳から二十歳未満の非行や自閉症、発達障害歴を抱えた未成年者の共同生活の場です。就労・通学に支障を来たし、もがき苦しむ彼らに共通しているのは、幼少時の愛情不足や、劣悪な家庭環境。間違った躾の名のもとに行われた虐待・ネグレクト(育児放棄)。それらに多大なる悪影響を受けて形成されていました。大人不信になった彼らに寄り添うところからがスタートとは言え、半年や一年は心を開いてもらえないのが通例で、教育的指導でねじ伏せたり、こちらの都合で急いで型にはめようとすると、その反動で二次被害を呼び起こすばかりです。目から鱗の接触術をたくさん先輩に教えてもらい、井戸を除く様に向き合ってスタッフ全員が精神疾患を患いながらやって来ました。
転職先は、利用者の年齢が幅広く成年の占める割合が一気に高まります。これからまだまだ学び、関わり方を模索して行くことになります。それについては非常に好奇心が煽られていますし、実習していて感じるのは、こちらから力や援助などを与える仕事のようでいて、実は思いを交感するということです。一方的に支えるというのはおこがましく、色々な気付き、人間の価値などを学んでいます。例えば役に立たない人間が福祉予算で守られている事を批判する人がいますが、実は存在そのものが役に立っているというのはすごい気付きでした。このニュアンスを伝えることがまだ出来ないのですが、端的に言うと希望です。それが転職に踏み切る最大の理由であり、私なりの未知数のアートの可能性をも感じたのです。
※画像と本文は関係ないようであるかもです。
最後にクリスチャンである私から下記聖書の抜粋で今日の投稿を締めたいと思います。
コリント第一 13章
「たとえ私が人間や天使のさまざまな言語を話しても,愛がなければ,うるさく鳴るどらや,やかましく響くシンバルのようです。 たとえ私が預言する能力を持ち,全ての神聖な秘密と全ての知識を理解していても,また,たとえ山を動かすほどの強い信仰を持っていても,愛がなければ無価値です。たとえ私が持ち物を全て差し出してほかの人が食物を得られるようにしても,また,たとえ体をなげうって自分を誇れるようにしても,愛がなければ何も得られません。 愛は辛抱強く,親切です。愛は嫉妬しません。愛は自慢せず,思い上がらず,下品な振る舞いをせず,自分のことばかり考えず,いら立ちません。愛は傷つけられても根に持ちません。愛は不正を喜ばないで,真実を喜びます。 愛は全てのことに耐え,全てのことを信じ,全てのことを希望し,全てのことを忍耐します。 愛は決して絶えません。一方,預言する能力があっても,それは除き去られます。さまざまな言語があっても,それはなくなります。知識があっても,それは除き去られます。 私たちは部分的な知識しか持っておらず,部分的なことしか預言していません。 完全なものが来ると,部分的なものは除き去られます。 私は子供だった時,子供の話し方をし,子供の考え方をし,子供の捉え方をしていました。しかし,大人になった今,子供の特徴を捨て去りました。 現在私たちは金属の鏡でぼんやりした輪郭を見ていますが,やがて顔と顔を合わせるかのようにはっきり見ます。現在私は部分的なことしか知りませんが,やがて正確に知ります。ちょうど私が正確に知られているようにです。 いずれにしても,信仰,希望,愛,この3つは残ります。そのうち最も優れているのは愛です。」