この話は2年前、京都での個展の時です。お世話になったギャラリー、Art Spot Korin(コーリン)では定期的にアートカフェという集いをされていました。作家であろうがなかろうが、参加自由。芸術から下世話な話まで、気取らずに偶然居合わせた方々と会話を楽しむという企画でした。
その時にオーナーから凄く腑に落ちる言葉 を頂きました。
私 :「表現というのはよく創造という言葉に置き換えられます。分かり易いところでは、サザンオールスターズの桑田佳祐は、もう40年以上作詞作曲を続けていますね。でも鮮度が落ちないのは、イメージが溢れる泉を持ってるんでしょうね? でも、どうしてそれを維持してるのかが不思議でならないんです。」
オーナー :「それは泉ではないでしょう。それだったらとっくに枯れていると思いますよ。当然、彼は表現者の持つべきベースなどはきちんと出来上がっているでしょうが、あとは世界とどう対峙するかにブレがないかどうかにかかって来ると思います。例えばあらゆる物事や事象が彼に曲を作らせてしまうのだと思う。表現は大体、創造ではなく、原理で作品は生まれるんじゃないかな。湧き出る泉なんてものは、実際にはないと思います。」
この回答に私は「ああ、なるほど!」となって、目の前の霧が一気に晴れた様に感じました。それ以来、私がアートな生き様をする事で、絵は描けるという確信を得ました。このアートな生き様というのが何か? それは当ブログで発信している事ほぼ全てです。
「創造ではなく原理」それに気が付いて以来、いつの間にか、絵を描くことよりもアートな生き様を貫く事に執着する様になりました。それが私にとっての仕事です。