この2、3年投稿している透明水彩画は全く下描きをしていません。何故かと言うと、どうしても正確で真面目になって、面白くないからです。先日の投稿で記述したようにJAZZ感覚で演奏する様に描くのに、楽譜が要らないのと似ています。
今日は滅多に描かないドローイングを3点描きました。使ったのはサインペン一本。
いちゃ突くカップル
物干し場で井戸端会議する住人
ゼムンの丘に建つ家
透明水彩でいきなり着彩するとは言え、実際はこういうドローイングを脳内で行なっている訳です。水彩画は滲みなど、計算を超えた偶発的な表現を取り込みますが、これらのドローイングは全く偶然性というものが存在しません。
その事に改めて気がつくと、新鮮な気がしました。また、水彩画がポジだとすれば、ドローイングはネガとも言える訳です。
愉快なのは、ネガとは言え、決して楽譜(下描き)ではなく、これはこれで作品だと言う点です。それは、着彩をする必要がないところまで行っていないと成立しません。