作品には想いを込めていますが、メッセージはありません。
意味やメッセージ性というのは、発展すればプロパガンダであり、弱いものであっても政治的扇動が関わります。私はそこに根をはるのを拒否します。
そこまででなくとも意味を限定するのは相応しくないと考えています。
意味がない方が豊かだからです。
まあ、我ながら毎回よくこれだけご託を並べるなぁと呆れてしまいますが、今日も描いていて、ふと再認識してしまったのです。
セルビアのノビ・サド。
10月に予定しているセルビア滞在に向けて、楽しみを通り越して刑務所を出所出来るくらい嬉しいです。
これは例えで、刑務所のご厄介になった事は今の所ありませんが、私にしてみれば日本そのものが大きな牢獄に感じるのです。
息が詰まるし、面白くないのです。違和感を終始感じてしまいます。
私の周りには大事な存在が沢山いますし、一生関わって行きたい人もいます。
お世話になっている方への感謝も忘れません。
でもそれはそれ。
セルビアのゼムンの若者達。いきなり油性ペンで線描を入れてからの着彩。滅多にしないのですが、塗り絵の様に楽しんでみました。
流れている時間が違う。歴史ある街の風情を大事にする。観光地として俗化していない。
そして歩きスマホをする馬鹿はいなし、若く見える事に必死になる馬鹿もいない。
年齢を重ねること、実年齢より大人に見える事を望む人々。
「私もう20歳のオバさん」とか小娘がほざいてますが、その様な情けない醜態に接する事はあり得ません。
私にとってしっくり来るセルビアの路上で描き倒して、即個展に出展します。
主催者の国際芸術交流協会シロカスターザには、その事は告げていません。
一週間あれば、余裕で20枚は描ける。描かずにいられない。
セルビアとはそういう国です。
その想いを作品に叩き込みます!