今日は映画(blu-ray)を堪能するつもりが、すっかり寝落ちしてしまいました。
まあ、私は気に入った映画を見るとα波が出るので、90%の確率で寝ます 😂
そのため、一本の映画をアトリエで観るにも3回から4回程度は見直します。
そこで今日も日課の絵を描く事になりました。
昨日に続いて雪の気分。
くるぶし位は埋まってしまう積雪を身体の長さのバランスで表現しようとしました。
頭が大きいのでなくフードを被っているのですが、今ひとつです。
そもそも、私は絵や映画を視覚芸術だと思っていません。
視覚からの情報が鑑賞者の体験や感覚を通じて心のひだを震わせるかどうかに掛かっています。
つまりは、それぞれの記憶・人生経験に深く関わるので同じ絵は存在しないと言う事です。
幼児がこういう絵を見てもなんの感慨も抱かないでしょうね!
通りすがりの店内のネオンと外壁の質感。
同じイエローで着彩しても感じ方が違うのが面白いところです。
そこには触覚体験なども影響します。
この絵はもっと壁の澄んだブルーをスキッと出すべきところ、色が濁って台無しになりました。
それに形の捉え方が全く面白くありませんね。
2017年になって18枚を描きましたが、絵を描いてはいても作品を描いているという感覚ではありません。
ただただ、いつか作品が産まれる為の土台を築いている様な感じです。
しかし、本当は作品以上にそれが一番重要です。
作品は描くものでなく産まれる時は産まれます。
それがどう言うものなのか思考するのではなく、描く事でしか模索出来ない気がします。
絵描きとはそう言うものだと最近は思います。
作品を描こうとか評価を得ようとはあまり思いたくなく、生理的に好きで描く事に重きを置きます。
一晩寝たら、7枚くらい描きたい気分です。