アトリエ青 Atelier Blue

星つりじいさんの日々の暮らしをお届けしています

画家の条件

私にとっての画家の定義というものがあります。趣味で絵を描くのではなく、画家を名乗る場合の決定的な違いを一言で言うと「絵を(描く事を)畏れるかどうか」となります。「畏れる」とは「おそれる」と読みますが、日常的に良く用いる「こわい」や「恐怖」の感覚とは違います。

「恐れる」は“恐ろしいと思う。心配する”の意。「怖れる」「懼れる」とも書く。「死を恐れる」「報復を恐れる」「失敗を恐れる」

これに対して「畏れる」は“能力の及ばないものをおそれ敬う”の意。

この「おそれ敬う」という点が大事です。つまりは先達を尊び、そこから教えを得るために貪欲に吸収しようという姿勢です。そして、これをわきまえて絵に臨むには、それなりの希望と努力と忍耐を持ち続けることが必要となります。謙虚さは必要ですが、悲観や卑下、嫉妬は持ってはなりません。

教室では失敗を恐れるの方は、沢山います。それは単なる怯えであり畏れるとは全く意味が違います。またどれだけ失敗が一番学びに有効だと言っても、悲観や卑下、嫉妬発言は絶えません。そういう発言は謙遜のつもりかも知れませんが、意味がありません。心理的にも全てマイナスに作用するのですが、いくら説明しても残念な事に聞き入れてはもらえません。もうそれについては私が諦めなくてはいけないのです。こういった態度は趣味として絵を続ける上では全く問題はありませんから。

しかし、中には絵を畏れるが故に苦悶と向き合っている方もいます。これこそが画家の素質だという事にさえ気付かずに格闘する姿は美しいものです。希望に満ちているからです。当然の事ながら教示内容は趣味で絵を描く人とは一線を画します。なるべくして画家になるまでを見届けたいものです。

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      ※写真は特に意味はありません。

抽象画で自画像

怖い映画の様な夢をほぼ毎日見る私ですが、昨晩はその中でも近年のベスト3に入るほどの超怖さ。ひたすら嫌悪し、怯え、恐れたのは覚えていますが、怖すぎて内容がほぼ記憶から飛んでいます。夢から覚めた今だから自分を笑えるものの、げっそりとした目醒めでした😅 

兼ねてから、どうしてこうも毎日怖い夢を見るのか、疲れを引きずって辛いと心療内科の先生にも相談して来ました。しかし、結局は夢の話なので、あまり思い込まずにいる様にとのアドバイスを受けました。抗不安剤睡眠導入剤睡眠薬を服用していますが、効き目としては寝つきが良くなりはしたものの、基本的には怖い夢から免れる事は出来ません。

そもそも人間にとり、恐怖の中でこそ、生き延びたいという生き物の本能が露見するので、ホラー映画なども廃らないのだと思います。ある意味で、毎晩夢で死に物狂いで生き延びる自分と対峙するからこそ、それが反転して穏やかな絵を描く事に繋がっているのかも知れません。写真のネガとポジの関係性と捉えることが出来れば、それも受け容れられる気がします。


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ところが、先週仕事場である出来事が起こってから、神経が過敏になってしまいました。電車や飲食店など公共の場で人が叱責したりする声を耳にすると、夢に似た恐怖感がぐわ〜っと胸を締め付けるのです。今日の教室でも頭が締め付けられる様な苦しみに苛まれて、息苦しくなり、気が付くと無意識にこんな抽象画を描いていました。

これは、絵によって精神の均衡を保とうとしたのだという事が、後で分かりました。これまで教室中にこんなに息苦しくなった事はなかったので、もしかするとパニック発作かも知れません。

そういう事も含めて絵描きとして何か自分が革新できる転機になるのであれば、それはそれで良いと考えます。この絵の一番黒い四角は私。それは直感でわかります。さて、(ここまで書いて寝落ちしたのでおわり)